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第3話

次の日あまりにもいい天気だったので、朝食前に護衛のサムエルとランディをつけて、庭園を歩いている私の前に小さな令嬢が飛び出してきた。

「ナーダ君を殺したのは貴女?なんてひどいことする人なの?信じられないわ。」

 ミルクティー色の髪はゆるやかにウェーブをしており、目はくりくりと大きく青い。そしてこの傍若無人な態度、多分彼女がアレンの真実の愛のお相手のリラだろう。

 私は無視して彼女の横を通り過ぎる。女は驚いた様に「待ちなさい。」と言って手を伸ばしてきたので、彼女の手を持っていた扇で思い切り叩く。

「無礼者!」

 私の言葉に私の護衛のサムエルがリラを組み伏せる。王宮の侍女たちが慌てて走ってやってきた。私を見る目に蔑みが混じっているため、どうやらリラの侍女たちの様である。

「その方は殿下の真実の愛のお相手でございます。無礼な真似をなさっているのはどちらですか!手をお離しなさい。」

 私とサムエルに向かって大口を叩く侍女をちらりと見ると、私の視線に怖気付いたのか、侍女は少し怯んだ。

「真実の愛のお相手...?それが何かしら?私はこの国でも4本の指に入るほど尊い身。いいえ、今はまだ一番かもしれませんわね?」

 そう言って私はクスリと笑う。そう、私は宗主国であるクレメンデルの王女である。アルディバイドとクレメンデルはその国土自体も10倍以上違うし、物的資源も人的資源もこの国は我が国に遠く及ばない。戦争などしようものなら、ひと月と言わず持たないに決まっている。

 だから、国王夫妻はアレンが強く出られない嫁をもらうために我が国に恥を忍んで請願に来たのだろう。アレンの態度を見るだに、全くもって無駄だった様だが。

 つまり私はこの国の誰よりも尊い存在であると言っても過言ではない。結婚後は舅になる国王を立てることは吝かではない。もちろん彼らが善政を布くのであればだが。

「そんな私に下級貴族から話しかけてきたのよ?それを大目に見てあげたら、今度は私の身体に触ろうとしたのよ?無礼はどちらかしらね?」

 私に大きな口を叩いた侍女はチラリと横にいる侍女を見遣ると、心得た様に頷き、走り去る。恐らく、アレンを呼びに行ったのだろう。

「それでも、屈強な騎士が貴婦人を組み伏せるものではありませんわ、どうか手をお離しくださいませ。」

 少し下手に出てきた侍女に私は微笑んでみせる。

「先程も言ったけれども、この国の秩序はどうなっているの?そもそも王宮に男爵令嬢風情が出入りして、好き放題歩き回っていることにも驚きだけれど、一介の侍女が許しも得ず私に話しかけ、それも指図するなんてあり得ないことね。

 貴女、名前は?」

 私に名前を聞かれた瞬間、侍女は真っ青になった。ナーダの一族の件を漸く思い出したのだろう。しかし、私にもこの態度ということはライラはどんなに辛い思いをしたことか!

「ミーナは何も悪くないわよ、私を慮ってくれただけなんだもの。」

 サムエルに押さえつけられながらも彼女の名前を口にするリラにミーナと呼ばれた侍女は鋭い視線を投げるが、リラはそれに気づいていない様だった。

 程なくしていき切らせたアレンが走ってくる。ミーナと呼ばれた侍女はホッとした様に体の力を抜いた。

「リラに何をしている!醜い嫉妬か!彼女から手を離せ!」

「あらまぁ、私は身を守るために暗殺者かもしれない女を捕まえているだけでしてよ?

 嫉妬......?私があなた相手に?寝言は寝てから仰っていただけますか?」

「姫は俺に惹かれているから、この国に嫁いできたのだろう。だから、私の真実の愛の相手が憎いのだろう!」

「まぁ、面白い冗談を仰るのね。」

 そう言って私はころころと笑う。

「私が貴方を?まさか。この国の民が哀れに思ったから嫁いでこようと思ったまでです。

 貴方に対してはむしろ、不信感と嫌悪感しかありませんから、安心なさってね?」

 今までは王太子として持て囃されていたからか、鼻にかけているのだろう――ライラだって彼を愛していた――。私の言葉に王太子は驚いた様にこちらを見る。

 一昨日からあれだけ「お前が死んでもいい。」と言い続けているのになぜ私が好意を抱いていると勘違いしたのか、私には理解できない人種である。

「この女は、いきなり私に話しかけてきたのです。我が国では下位の者から上位の者に話しかけることは許されていませんが、この国では違うのですか?この侍女といい、この娘といい、私を誰だと思っているのです。」

「この国だとて下位の者から上位の者への声がけは禁止されておりますわ。けれどもリラ様だけは別でございます。なんと言っても殿下の真実の愛のお相手ですもの。

 反面、貴女様は王太子殿下の政略結婚のお相手だと思っております。真実の愛を一生得られない可哀想なお方だと。私ども一同、同情を禁じ得ませんわ。」

 アレンが来たからだろう。強気になったミーナがまたもや許しも得ずに私に向かって口を開く。そしてその言葉の酷いことと言ったらありゃしない。どうやらこの国は一から叩き直さなければならない様だ。

「あらまぁ。ヘルミーナ・エイス・サルドナ男爵令嬢、私の許しを得ずに話しかけるのはこれで二度目ですわね?

 しかも、面白いことを仰るのね。真実の愛ですか、そんなもの王族に必要とでも思っているのですか?王族に必要なのは国を富ませ、民を守る力と矜持だと私は思っておりますの。

あぁ、あと、そうですわね、財力もあれば申し分はありませんわね?

 けれど、貴族社会にいながら、それもその中心である王宮で、こんなにも秩序を乱す存在がいるなんて驚きを禁じ得ませんわ。

 その様な醜態を晒す侍女はこの王宮にはいりませんわ。1日だけ猶予を与えます、出てお行きなさい。明日以降もいる様でしたら...わかりますわね?」

 私が謝らずに、彼女のフルネームを呼んだせいだろう。彼女はひぃ、と声を出し縋る様にアレンを見るが、彼はまたもや目を逸らした。下の者も守れないなんて立派な王太子ですこと。

 戦いに挑むなら敵のことを調べるのは当然である。彼女の名前など最初から知っていたが、圧力をかけるために名前を聞いたに過ぎない。あそこで止まっていれば許してあげたものを。

「そうそう、それに私に同情ですって?申し訳ないけれど私この国の冗談にはついていけませんわ。

 この国の人間は政略結婚を軽く見過ぎではないかしら?しかも私とアレンの結婚は国同士の大切なものよ。どうしてその辺によくある浮気話より下に見られるのかしらね?」

「浮気話ですって?真実の愛よ!」

 サムエルの腕の下からキーキーと甲高い声で反論するのを黙殺する。本当に私がここまで言ってあげているのに、理解も及ばないなんて猿よりも愚かなこと。

 私はスゥッと目を細める。それだけで私の愛らしいとよく言われる容姿が冷たいものへと変わるらしい。アレンもヘルミーナも息を呑んだ。

「同情している人間から施しを受けるのは苦痛でしょう?

 我が国の商団にサルドナ男爵家とは縁を切る様に申し付けておきますわね、あぁ、あと男爵家の寄親はルーデック侯爵でしたか?そちらとも今後は付き合わない様に伝えておきますわ。」

 私の言葉にヘルミーナの顔が青くなる。この国は食糧自給率があまり高くなく、我が国に頼っている。その我が国と縁が切れるということは明日から食べるものに困るということである。

 この国でも農業はしているので食べていけないということはないだろうが、食糧を手に入れるのは難しくなるだろう。屋敷の使用人がわざわざ城下におり、王都の民に混ざって食糧を手に入れなければならなくなる。

 しかも食糧だけでなく、ドレスや宝石なども我が国からの輸出で成り立っているため、それらに切られるということは貴族として体裁をなせないということになる。

 ヘルミーナは私の足元に跪いて泣き始めた。

「申し訳ありません、私が身の程を弁えておりませんでした。どうかお許しくださいませ。」

「私も鬼ではありませんもの、一度は見逃して差し上げたのよ?それなのに繰り返す様なお馬鹿さんに関わっている暇も心の余裕もないの。

 そうね、今なら貴女がサルドナ家と縁を切り、平民となって、王都へ一生足を踏み入れないというなら、一族と寄親は許してあげてもいいわ。本日中に当主から返答をさせなさい。

 17時まで待っても返答がない場合は......分かっているわね?」

 ヘルミーナは泣き続けたままだが、こんな小物に拘っている暇はない。アレンに向き直る。彼も漸く私の恐ろしさが分かったのか顔が青い。

「それで、あなたは何を言いに来たのかしら?」

「リラを苛めていると聞いたから彼女を助けに来たのだ。」

「あらまぁ。ではアレンも共犯ですわね?」

「共犯...だと?」

「えぇ、そうです。この娘は私の前に立ち塞がると許しも得ず、言葉遣いすら弁えず、話しかけてきました。

 私は馬鹿な人間でも一度は見逃してあげようといつも思っているものですから、見なかったことにしてあげようとしたのに、私に触れようと手を伸ばしたのです。重罪ですわね。」

「なぜ、彼女が重罪になるのだ!彼女は私の真実の愛の相手だ、私と同じくらい丁重に扱われるべき存在なのだ。」

「まぁ。それでは私よりも下位と言うことで間違いありませんわね?」

 私の指摘にアレンは唇を噛む。この国では三番目に偉いと言われて育ったせいで、彼は矜持が高い――それ自体は王族として悪いことではないが、彼に関しては悪い方向に発露している――。私の言葉が受け入れられないが、否定できないことも一昨日の一件以降わかっているのだろう。

「彼女がもし毒針を手にしていたら?手に薬を仕込んでいたら?私は今頃ここに立っていないかもしれませんわね。

 私の国では許しもなく上位の者の身体に触れることは暗殺者の疑いをかけられても仕方のないことです。この国では違うのですか?

 アレンは通りすがりの貴族にいつも身体を触らせてらっしゃるの?まぁ、不潔。」

「その様なわけがあるはずがなかろう!この国とて許しを得ずに身体に触れることは禁じられている。」

「その禁じられていることを、その娘はしたのです。ならば捕らえるのは当然のこと。

 しかも面白いことを、あなたもこの侍女も言ってましたわね。真実の愛の相手なら王太子と同列?なんて馬鹿なことを。貴族社会を根底から覆す愚かな話です。

 貴族に爵位があるのはなぜだとお思いですか?」

「とりあえず、リラはその様なことをする娘ではない。」

「『その様なことをする娘ではない』ですか。私の従姉妹を陥れたこの女が?

 ライラに階段から突き落とされたそうですわね、その時にライラは王宮で王妃教育を受けていたにも関わらず。

 この娘が『たしかにライラに突き落とされた』と証言したから、国王夫妻がいない間に、正式な裁判もなく、ライラは処刑されたんでしたわね。

 立派な人殺しではありませんか!」

「違う!彼女は階段から突き落とされた被害者で...。」

「それで確証もないのに、無実の人間の名前をあげて死刑に追いやったのです。何を馬鹿なことを言っているのですか。彼女は既に加害者です。

 そんな女が身体に触ってくるのです。王族の殺害未遂で処刑されても文句は言えませんわ。

 それで、アレンあなたも共犯ですのね?」

 そもそも階段から落ちたかどうかすら真偽が定かではないのだが、水掛け論にしかならないのでそこはひとまず置いておく。

「彼女はそんなことをしていない。身体検査をしたらきっと薬も針も何も危険なものを持っていないことがわかるはずだ。何をもって彼女を疑うのか。」

「もちろん、『私・の・証・言・』です。薬なら、取り押さえられる前に捨てられます。針だとて同じこと。一流の暗殺者であればあるほど証拠は残しません。

 私の質問に答えていません。アレン、あなたは彼女の共犯者ですか。」

「.........共犯者、ではない......。」

 アレンが自分を助けてくれないことに驚いたのだろう、未だにキーキーと騒いでいたリラが押し黙る。

「あらまぁ、真実の愛のお相手なのに一緒に死んで差し上げることもできないの?」

 そう言って私は楽しげに笑う。

「だが、今回確証はないのだろう?どうか彼女の生命だけは......。」

「あらまぁ。犯罪者のことをどうして私が気にしてあげる必要があるのかしら?

 そう言いたいところではありますが、ひとつだけチャンスをあげましょう、アレン。」

「な、なんだろう?」

「私は『側室は認めない、認めるのは公娼のみで、それ以外の方との性行為は禁じる』と伝えました。

 けれど、この時間はまだ城門も空いてないにも関わらず、男爵令嬢がここにいると言うことは、あなた昨日は彼女と過ごしましたわね?」

「いや、違う。それにそれは結婚後の...。」

「次に嘘をついたらチャンスはなしです。彼女からあなたと同じコロンの匂いがします。これは男性向けの高級なものなので、彼女の香水の匂いという言い訳はききません。

 それに、あの契約は締結した瞬間に効力を発するものです。そもそも後継問題を起こさないための条項です。結婚前だからと言って性交した後に子供ができていたら意味がありません。愚かなことを口にしない様に。」

「......一夜を、共にした。」

「そうですか、では彼女を公娼とすると判断して良いのですね。」

「いや、彼女は私の真実の相手で、子供が作れなくなるのは......。」

「それでは、お別れしますか?それともあなたが王位継承権を放棄し、王籍から外れますか?」

「......彼女と別れたくないが、私以外に王子はいない...。」

「王子はいませんが、王位継承権を持つ者はほかにもいましてよ。私の従兄弟、トリスタン・エルムントです。彼の祖母は前国王の妹でしたから、彼にも王位継承権はあります。彼に王位を譲って真実の愛のお相手と生きてはいかがです?」

「わかった、彼女は公娼とする、これでいいんだろう!」

「ええ、構いませんわ。それでは彼女に処置をいたしますわね。将来の火種を抱え込むのは趣味ではありませんの。

 そもそもその方が王妃教育をきちんとこなせ、結婚できたらよかったのに、とてもではないが外交どころか社交にも出せるレベルではなかったそうですわねぇ。

 本当にお二人の真実の愛には頭が下がるばかりですわ。」

 そう、真実の愛とか言いながら、いざとなれば見捨てる王太子と、彼の隣に立てる様に頑張れなかった男爵令嬢。本当にお似合いすぎて笑いが出る。

「分かった。処置を取る。」

「いいえ、私が手配します。」

「なに?私が手配すると言っているだろう、信用できないのか。」

「ええ、仰る通りです。あなた方は昨日から私との契約を破ってばかりですもの。

 ナーダの一族の処刑と言い、彼女と一夜を過ごした事と言い、あなた方は何一つ約束を守っておりません。信用しろ、と言う方が無理です。」

「お前がリラにそれ以上の害を及ぼさないと誰が信用すると言うのだ。」

「それではあなたが立ち会っても構いません。忘れないで欲しいところですが、アレン、私は今温情をかけて差し上げているところなのですよ。」

 私がそう言うと、彼は項垂れた。

「すまない、リラ。けれど私には君が必要なんだ。」

 アレンの言葉に焦るのはリラである。サムエルに押さえつけられた下から涙目で騒いでいる。

「え?何?公娼って何よ、正妃は無理でも側妃にしてくれるって言ったじゃない!公娼なんて嫌よ、子供ができない処置って何よ?」

「あらまぁ、アレン。あなた何も話してなかったの?」

 私が聞くと彼は気まずそうに目を逸らした。本当にいつまでもどこまでも逃げることしかしない男である。こんな愚者が王になった日には国が滅びると思うのだが。

「私を妻に迎えるにあたって、彼は側妃を娶ることは許されなくなりました。あなたが彼と共に生きたいと言うなら、公娼にしかなれません。さて、どうなさいます?」

 アレンの代わりに私が丁寧に話をすると、リラはすごい目つきで私を睨んできた。悪いのはどこまでもアレンであり、あなたであるのだ。

「なんでよ、あの女の時だって側妃になる話はあったわ!なんであんたの時だけ公娼になるのよ。」

「あらまぁ、アレン。貴方の可憐で儚い妖精は私の知る妖精とは違う様ですわね。」

 私はころころと笑ってみせた後、すうっと目を細めて微笑う。

「けれどこれが最後の通告です。私は一度の無礼は許すけれども、二度目はありませんのよ。」

 結局リラは公娼となる道を選び、クレメンデルの息のかかったところできちんと子供ができない様に処置した。もちろんそれ以上のことはしていない。そんなに簡単に終わっては面白くないからである。

 そして朝食を終える頃にはすぐにサルドナ男爵がヘルミーナを絶縁の上、王都から追放すると報告に来た。全くどこまでも腐った国である。

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