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[SakaSen] 愛を食べて、生きていく。

Author: calico

Link: https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=16661502

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静かな、とても静かな夜。
俺達二人の足音、それ以外にはなぁんにも聞こえない。

何故そんなに静かなのかって?
だってここら一帯の人間は、全員俺達が始末しちゃったんだから。

肩に乗った重みは長年の相棒であるアサルトライフル、手土産は大きなテディベア。
ぽたり、ぽたり、左手に持った柔らかいそいつから滴り落ちる血液が地面に染みを作る、さて、これは誰の血だったっけな。

「...坂田。それ、どっから見付けてきたん?」

「これぇ?なんかプレゼントの箱に入ってたで、可愛いリボンかけてあったヤツ」

「あぁ...そうか、もうすぐクリスマスか」

「んふ、渡す人も貰う相手も、もうこの世にはおらんけどな」

裏切り者の始末に容赦は必要ない、その対象であるのならば、女も、子供も。
ターゲットには平等に、真っ黒な最期の夜をお届けする、それが俺達『black night』の仕事だ。

「...それにしても、今日は全然手応え無かったなぁ〜......なんか動き足りん、このまま帰ってメシ食って寝たら太っちゃいそぉ」

「......お前、面白がって散々余計な物まで壊し回っといて何言うてんねん。うらたさんに怒られても知らんからな」

「えぇ〜!俺だけ怒られるの嫌やぁ...まーしぃも一緒にやったって言お...」

「そういう時の坂田、顔がニヤけてんのよ。絶対うらたさんには見抜かれるで、やめとけ」

仕事の後はどうしても気分が高揚して楽しくなっちゃう俺と、仕事に関してはいつも冷静な志麻くん。
組織に所属する以上他の人間と組む事もあるけれど、俺の動きに付いてこられるのはこの人だけだ。
やっぱり俺達が組むのが最強だ、何やっけ、あれ、阿吽の呼吸ってやつ。

肺に溜まった冷えた空気を深く吐き出して、それからいつもの癖で、右手が自分の右耳へと伸びた。
自分にしては繊細な動作で、そおっと撫でる。
其処にひやりと冷たい石の装飾が今日も変わらず収まっている事を確認して、心が穏やかになっていった。

今日も俺を守ってくれたね、『おひめさま』。

死にたいと思った事はない、生きたいと望んだ事もない。
俺にとってこの命に、大した重さはない。
だけどあの子が、もう顔も思い出せないあの子が俺に言ったんだ、『どうかこのイヤリングが、貴方様を守ってくれますように』って。
生まれて初めて貰ったプレゼントと、初めて俺のために唱えられたお願い事。

あの子の願いを叶えるためだけに、今日も明日も、俺は毎日生き延びるよ、このイヤリングが壊れるまで。

あぁ、腑抜けばかりの殺しではちょっと物足りなかったけど、今夜も良い夜だった。
スーツのジャケットは血を吸って重く、しかし足取りは軽い。

静かな夜は気分が良い、そこに時々軽口を落とし歩く帰路。

俺は次の任務への期待と、やり過ぎた器物破損の言い訳に頭を巡らせていた。

『こん^ ^』

「.........なんやコレ」

組織に戻り、チームのリーダーであるうらさんに(主に志麻くんが)今回の任務の報告を終え(器物破損については志麻くんが敢えて触れずにいてくれた、優しい)。

血塗れのスーツを脱いでシャワーを浴びて、さっぱりした状態で端末の画面をONにしたら。
組織から支給された端末、内部の者からの連絡のみが並ぶはずのメッセージや着信履歴の中にひとつだけ混じった、やたら目立つ異物。

明らかに即席で作られたアドレスは、全く見覚えが無いのに心当たりしか無くて。

「......おい、ふざっけんな...!
この端末、ウチの組織の人間以外アクセス出来ないようにって、ガチガチのセキュリティにしてるんとちゃうんか?!」

『sensen_dayo~^ ^』から始まる、おちょくる気満々のアドレス、ふざけた一言だけのメッセージ。
イラッとしたら思わず端末を握り潰しそうになって、慌てて手の力を緩める。
あっぶな、これ組織専用に特注で作られた端末やから、壊したら結構な額の弁償なんやった。

「...坂田、何一人でブツブツ言ってんの?」

「あっ、うらさん!コレ!コレ見てや、コレ絶対あいつやろ?!」

「.........あ?なんだよコレ...」

「そんな怖い顔されても俺もわからんて!!」

後ろから掛けられた声に振り返り、自分より小柄な彼が見易いように端末の画面を差し出せば、その眉間にグッと深く皺が寄る。
地を這うような低い声で問い詰めようとするリーダーに、俺のせいじゃないと両手を上げて急いで弁明をするも、じろりと鋭い眼光で睨まれた。

「どうせお前、あいつに隙を見せて端末弄られたんじゃねぇの」

「してない!絶対隙なんて見せてないもん、あいつの前で端末なんて出した事ないし!」

「......だったらどうやってウチのセキュリティ擦り抜けたんだよ...そっちの方がヤベェんだけど」

「.........確かに...」

念の為に他に何か異変が無いか、アプリを片っ端から開いて確認してみるも、これと言った変化は見当たらず。
ただひとつ、さっきのふざけた一文がメッセージアプリに届いたと云う腹立たしい事実以外は。

「......まぁ、あいつなら、坂田をおちょくるためだけにウチのシステムをハッキングするくらい、平気でやりそうではあるけどな」

「...なんやそれ...もぉ〜!なんで毎回毎回俺にばっかり!」

「何でって、嫌がらせに決まってんじゃん」

「っあ〜!ウザい!!俺以外にもやれや!何考えとんねんあの阿呆は?!」

頭に浮かぶのはあいつのヘラヘラとニヤけた顔と、やられてきた嫌がらせの数々。
思い出すだけで腹が立って、髪をぐしゃぐしゃに掻き回す俺を、うらさんは冷めた目で見ていた。

この前は、組織で使っている俺のパソコンの閲覧履歴が全部アダルトサイトになっていた(うらさんにドン引きされたけど、勿論俺は仕事中にそんなものを検索なんてしない、絶対に!)し、懐のナイフが出たり引っ込んだりするおもちゃのナイフに摺り替えられていたり(咄嗟に反対の手でハンドガンを撃っていなかったらほんまに危なかった)、セキュリティカードの顔写真がブッサイクな手描きの似顔絵に変えられていた事もある(ヘタクソなくせに妙に似ているとまーしぃに爆笑されたのが未だに解せない、全然似てなかった!)。

自慢じゃないが、俺の所属するこの組織は、国が凄腕の殺し屋だけを集めて内密に作ったものだ。
他国に対抗するためのこの国の機密情報や、闇に葬られた暗殺の歴史も俺達が握っている、当然ながらそのセキュリティたるや表社会のそれとは一線を画す。

はず、なのだけれど。

「あいつの考えてる事なんて、誰にもわかんねぇだろうよ。ほら、天才となんとかは紙一重ってな」

「......能力の無駄遣いってこういう事を指すんやな...大人しく依頼された事だけやっとけや......」

「まぁでも、本来なら奴は情報屋として中立のはずだけど、お前にちょっかいかけるようになってからはウチの組織を贔屓してるフシがある。今のところセキュリティを破壊したりダウンさせるような悪質な悪戯もされていない...されてもウチのCE達じゃあいつには敵わないから、止められないけど」

「え〜、情けないなぁ」

「やめろ、ウチのだって優秀なんだよ。ただあいつのレベルが違い過ぎるだけだから」

「.........待って?!」

「ぁんだよ、」

「俺!悪質な悪戯!俺!!
めっちゃ被害被ってますよ?!ほんまに何回か死にかけてるから!」

「.........あー、......でも、ほら!実際まだ死んでないし?
お前が遊ばれてる間はあいつがウチに加担してくれるんなら、多少の坂田への被害はまぁ、相応の対価って事で!」

「嘘やろ...俺、生け贄やんか......」

「お!坂田の割に上手い事言うじゃん!」

リーダーに清々しい笑顔を向けられ、俺は絶望感に打ち拉がれながらデスクチェアに倒れ込んだ。

あいつが、とんでもない天才な事は理解している、認めてもいる。
だからって何で俺が毎度毎度おちょくられて苛々せねばならないのか、そこについてはどうしたって納得できない!

それに、うらさんだって、そんな言い方されたら。
まるで俺よりあいつを贔屓してるって、あいつの方が俺よりこの組織に役立っているって、そう言われているみたいに聞こえるんやけど。
俺の方がこの組織に貢献してるのに、俺には此処で殺しをやる以外、何も無いのに。

「なんや、楽しそうやなぁうらたさんと......坂田...は、そうでもないか?」

「.........なんもおもんないわ...」

「坂田お前、そんな拗ねんなって。
まーしぃ聞いて、坂田がさぁ、またあいつに変な悪戯されたって不貞腐れてんの」

「変な悪戯?......ぁ、ぶふ!ふふぅっ...!」

「あーっ!!まーしぃ笑うなやぁ!絶対あれやろ、あのブッサイクな似顔絵思い出してるやろ?!」

「ひィ...っ!ふ、ふふぅっ、ふふ......」

「あーあ、まーしぃに追い討ちかけたな」

「あんなの全然似てないもん!あいつ絵ぇ下手過ぎやろ!!」

「......ひぃ......ひ...」

遅れてシャワーから戻ってきた志麻くんが、あの不名誉な似顔絵を思い出したのか、笑い過ぎて崩れ落ちた(何がツボなのか俺には全くわからん!)。
うらさんも腹を抱えて笑い始めるし、なんだか俺自身を馬鹿にされているみたいで、自分の顔がどんどんむくれていくのがわかる。

あー苛々してきた、全部あいつのせいや。

「......もーいい、付き合ってられんわ。
...うらさん、地下の狙撃場借りるで」

「...は?お前...任務終わったばっかなんだから、普通に帰って休めって...」

「今帰っても体力有り余ってて寝れらんよ、全然撃ち足りないし、動き足りてないもん」

一度ケースに仕舞っていた相棒を取り出して肩に担げば、うらさんがギョッとした顔をする。
その隣では志麻くんが、言うと思ったーって呆れた顔をしていて、けどまぁ止めるつもりは無さそうだ、彼は不機嫌になった俺に甘いから。

折角気分良く仕事を終えたのに、あいつのせいでむしゃくしゃさせられたんだ、こういう時は身体を動かすに限る。

動き回る敵に狙いを定めて、撃つ、弾が頭の真ん中を撃ち抜くところまでを脳内でシミュレーションして。
ニヤリと口角が上がるのがわかる、やっぱりこれが一番のストレス発散だ、だって俺にはこれしか無いから。

「...あぁ、それと。
今日の任務、ぜーんぜん手応え無かったもんやから、まだ殺し足りてないの。苛々してるし、人が入って来たら間違えて撃ち殺してまうかも...ふふ、
だから、誰も入って来んように言っといて?」

「......はぁ、わかった、勝手にしろ」

「ん、ありがと」

「あ、おい!帰る前にはちゃんと着替えろよ、汗冷えて風邪ひいたって知らねぇからな」

「子供じゃないんやからわかってるって。
じゃ、まーしぃもお疲れ、...ってまだ笑ってるし......もぉええって!またね!」

「んふふ、......おん、またな坂田...ふふっ、」

「もー、しつこい!」

アウターとリュック、それからライフルをしっかりと肩に担いで。
ついでにデスクの中からストックしていたものをひとつ掴んでポケットに突っ込み、準備は完了。
ひらひらと手を振る二人に見送られながら、俺は狙撃場へと向かった。


「......あいつ、ちょっと人間らしくなったよな」

「...うらたさんもそう思う?」

「...なんとなくだけどね。
前までの坂田って、良くも悪くも感情的にならないっていうか、...マジで戦う事以外で怒ったり笑ったり、騒いだりもしなかったじゃん。
ずば抜けて強過ぎるから、まーしぃ以外に気安く話し掛けれる奴もいないし」

「まー、そうやな。あいつ戦ってる時とか殺してる時ほんまに楽しそうでさぁ、笑い方がちょっとヤバいから、割と皆坂田の事ビビってると思う」

「......殺しのプロとして、雑音が無い事があいつの強さに繋がってるってのも、わかるんだけどさ。
もっと他の物事にも目を向けてほしいって、俺はずっと思ってたから、案外こういう刺激も悪くないのかもなぁ、なんて、」

「うらたさん、過保護やなぁ」

「はぁ?!...別にそんなんじゃないし」

「ふふ、じゃあそういう事にしとこか」

「.........ほら!まーしぃも、シャワー終わったんだから帰った帰った!」

「はいはい、うらたさんもたまには早く帰りや?」

「......わかってるよ」

広過ぎるオフィスに響く、二人分の足音。
セキュリティカードをかざせば瞬時にキーが作動して扉が開き、閉じる。

オフィスは無人になるとともに、全ての電灯が一斉に消え、沈黙した。

耳の横で、破裂音が弾ける。

肩に乗った銃の重さが一瞬浮いて、そして直後に倍になって戻ってくる感覚。
熱と電気、熱くなった鉛玉が空気を震わせて、真っ直ぐに空間を裂くように飛ぶ。

相棒であるライフルが放った銃弾は、動き回る敵の頭部に一発で穴を開けた。

よっしゃ、今のはど真ん中だった、気持ちええ。

ヴゥン...と小さく電子音が鳴って、敵の姿を模した人型のシルエットが揺れて消える。
次に、立て続けに五体のシルエットが浮かび上がってこちらに向かってくるのを、動きを予測しながら距離を取って。
素早くハンドガンに持ち替えた片手で構えて、いち、に、さん、と順に撃ち抜いた。

ほぼ同時に倒した五体が、ゆらゆらと崩れるように消えていく。
よしよし、調子ええな、と出来に頷いて、続けて現れる敵に狙いを定めようとした時。

きゅうぅ...、と一人きりの空間に小さく音が響いて、咄嗟に自分の腹を押さえた。

身体から一気に力が抜ける、この感覚。

うわ、タイミング最悪。
折角上がってきた気分がまた下降していくのを感じて、溜め息をひとつ落とす。

いつもそうだ、この、空腹感ってヤツはいつも俺の邪魔をする。

仕方なくシステムを一時停止して、銃を肩から下ろし、椅子に適当に引っ掛けていたアウターのポケットに手を突っ込む。
取り出したのは自分のデスクから持ってきた、パックに入ったゼリー状の、いわゆる栄養補助食品と呼ばれるもの。

何で人間って、食事を摂らないとあかんのやろ。
集中している時に限って邪魔をされてしまうし、空腹を無視し続けたら身体は動かなくなる、その結果点滴なんて事になったら、それこそ数時間の拘束を余儀なくされる。

美味いものが美味いのはわかる、食べる事が嫌な訳でもないけれど。
別に腹が満たされれば何でも良い、そんな事より撃ちたいし殺したいのに。

この組織で生まれて、此処で生きてきた俺には、これでしか生きてる実感とか喜び?高揚?みたいなものを得られない、らしい。
あんまり興味ないけど、子供の頃からおっさん達にそう教えられてきたから、多分そうなんだろう。

あーあ、めんどくさ。
時間が勿体ないから、温いゼリー状の液体を握り潰すようにひと息に吸い上げる。
ほんのり甘い液体が喉を通って腹に落ちる感覚、暫く待つとそれが腹の中に溜まって、そうすれば俺の動きを邪魔する空腹感は無くなった。

こんなもんでええねん、食べ過ぎて太るのも動きが重たくなるし格好悪いから嫌や。
栄養補助食品と勧められたサプリメント、肉を食え野菜を食えって口煩いうらさんに合わせて時々自宅で遊び半分にする自炊、それすらも面倒な時のコンビニ飯。
やらなきゃあかん義務みたいなもんだ、その割には結構ちゃんとやってる方だと思う、義務なんて言うたらうらさんに悲しそうな顔をされるから言わんけど。

よーし、これでまた暫く動ける。
止めていた狙撃専用システムを再度起動しようとしたところで、アウターのポケットの中から僅かな振動音が聞こえてまた足を止められた。

もー、なんやねん、今日は邪魔されてばっかや。

面倒に思いながらも、次の任務の連絡だったら逃したくないから急いで端末を引っ張り出せば、画面に表示されているのは登録していない見知らぬ電話番号からの着信で。

何故だろう、嫌な予感しかしないのは。
あのヘラヘラとニヤけた顔が、脳裏に浮かぶのは。

「.........はい、」

『あっもしもーし、俺やでぇ?』

「人違いです失礼します」

『んふ、待て待て、人違いちゃうよ?
...こんばんは、さぁかた?』

気乗りしない指で通話のボタンをタップした途端、耳に飛び込んでくるのは滑らかで柔らかい声。
少し高く響く、それでいて嫌な尖り方のないその声は、まさしく予想通りの人物のもので。

きっと人に聞かせれば、誰もが綺麗な声だと言うだろう。
但し、折角の美声が台無しになる程に、その声音は煽りと嘲笑に満ちていた。

「............何の用や、阿呆センラ 」

『あっは!機嫌悪そうな声ですねぇ、感じ悪ぅい』

「......あー、ウザい...さっさと用件だけ言え、......いや、何やねんマジで、どっからこの電話番号見付けたんや」

『んん〜?気になるぅ?俺と坂田の仲やけど、流石にそれは内緒かなぁ、ごめんなぁ?』

「............うっざ」

端末から聞こえてくる、わざとらしいヘラヘラした猫撫で声。
久々に聞いたその苛つく声が、こちらの神経を逆撫でるためにわざとやっているものだと、頭では理解していても眉間に皺が寄っていくのが止められない。

明らかに不機嫌になった俺の態度に、こいつはどうせ一人で大喜びしているんだろう。
俺が腹を立てれば立てるほど喜ぶ、こいつはそういう男だ。

またこいつの思い通りに動かされていると思うと余計にムカついて、握り締めた端末が、ミシッ...と悲鳴を上げた。

『どぉ?びっくりした?』

「...びっくりも何も、俺が何かやらかしたんじゃないのかって、うらさんに怖い顔されたわ」

『あらぁ、うらたんに怒られてもうたの?可哀想になぁ』

「お前のせいやろが!
...もー、ほんまに、どうやってウチのセキュリティ通り抜けてんの、マジであり得ないんやけど」

『んふふ、まぁ、俺の手にかかれば?坂田んトコのセキュリティなんてゆるゆるやからな〜、忍び込むのもアクセスするのも簡単やねぇ』

「.........お前、そのスゲー能力を、こんなしょーもない事に使って無駄やと思わんの?」

『無駄とちゃうよぉ?俺の大事な趣味の時間なんやから!』

「............こいつ、ほんまに阿呆や」

思わず溢れてしまった心底嫌そうな俺の声に、奴はまた、電話の向こうで嬉しそうな高い笑い声を上げた。

俺達が他国に対抗するために国が作った組織なら、こいつは国内外に情報を売り歩く個人事業みたいなもんだろう。

脳裏に思い浮かぶのは、ヘラヘラと胡散臭い笑い方をする細身の男。
明るく染められて少し傷んだ柔らかそうな髪と、常に微笑みを浮かべた一見穏和な印象を受ける、ように恐らく計算し尽くされている表情。
色白でひょろりと細長い外見は、優男というか今時のチャラい兄ちゃんというか。

名前はセンラ、と皆呼んでいるけど、果たして本名なのかは正直誰も知らない、多分偽名。

表向きはホワイトハッカー(実際やってる事はほぼ黒に近いグレーだってうらさんが言ってた)としてサイバーテロを防いだり解除したりしている、らしい。
ただ、俺達がこいつと関わるのは、ハッカーとは全く別の一面で、本人曰く『趣味で集めている』国内外のあらゆる情報を必要とした時だ。
ここ数年で、うらさんに呼び出されてウチの組織を訪れるこいつの姿を見る機会も随分増えた。
俺はあまり関心がないけど、奴の情報は優秀だってやたら高く評価されているそうだ。

そして、うらさんが言っていた通り、俺に嫌がらせをするようになってから、センラはウチに情報を先に流してきたり、情報を売りに自らウチの組織を訪れる事も格段に増えていた。
それがまた、未だどこにも売っていない最新の情報だとか、組織にとって有益なものばかりなんだそうで。

うらさんや上層部のおっさん達も、自分からやって来る情報に大いに喜んで、そのせいで俺はセンラの嫌がらせの生け贄に捧げられている訳だ......思い出したらまた腹立ってきた。

胡散臭い笑みを浮かべて、口先で人間を自分の都合の良いように操って、ウチの組織にも上手く取り入って。
俺以外には良い顔を振り撒いているから、皆騙されてるだけやのに。
そういやこの前、事務の女性職員達がセンラの事を『イケメン』とか『爽やかでステキ』って褒めていたのも聞いたし、何やねん。

部外者がデカい顔して組織内を歩き回りやがって、何で皆こんなわかり易い奴を信頼できるんや。

嘘をついてる奴とか、口先だけ良い事言ってる奴はすぐわかる、ガキの頃から俺の周りに居たのはそんな奴ばっかりだったから。
そういう人間は視界に入れないように遮断するのが一番だ、そもそもそういう奴に興味ないし、俺は戦えればそれで良い。

そう思っていたのに。
あいつは、センラは俺にだけ執拗に絡んで来るし、今までの奴らみたいに俺に取り入ってくるどころか苛々させるし、嫌がらせばっかしてくるし、
遮断していたはずの俺の視界に、センラだけがやたらとチョロチョロ入り込んでくる。
鬱陶しくて追い払っても、何度でもまた入ってくる。

俺より弱い奴には興味がないのに、俺より弱いくせに、このセンラと言う男は、妙に気に障るし気に食わない。

気が付いた時にはこいつは俺の中でそう言う存在になっていた。

『...あ、そうそう。
近日中に着手する予定のお仕事があるやろ?他国の組織がこっちに無許可で拠点作ったのを潰すヤツ。
それ、坂田も最前線で参加やから、体調とか備えといてな〜?』

「.........は?」

そういやこいつと知り合ったのっていつからだっけ、なんて、薄れた記憶を辿りかけていた思考は。

まるで明日の天気のことを話すかのように、軽いノリで投げ付けられた、新たなとんでもない情報に吹き飛ばされた。

「...おい、待てや、そんなん俺まだ聞いて無いぞ......」

『あー、まだ公開されて無いからなぁ、ネタバレすまんな!』

「...っふざっけんな!...何で、お前が!ウチの今度の任務を!俺より先に知ってんねん!!」

『んふふ、だって、この情報をうらたんに売ったの俺やも〜ん。
まだ相手さんの動きにだぁれも気付いてないから、最新のスクープやで?ほんま感謝してほしいわぁ』

歌うように機嫌の良いセンラの声と、反比例に下がる俺のテンション。
さぞかし俺の反応が予想通りで面白いんだろう、カラカラと端末から響く笑い声に、またこいつを喜ばせてしまったと、気付いた時にはいつも既に遅い。

良かったなぁ坂田、今日の任務は退屈やったんやろ?次は本気出せるなぁ?
ヘラヘラと笑いながら宣うセンラに、何で今日の任務の内容から俺の感想まで把握してんねん、と内心ツッコミを入れつつ、これ以上喜ばせたくないから言い返すのは堪えた、が。

こいつの言う事が本当なら、かなりデカい仕事になる。

マジか、いや、マジなんだろう。
嘘ばかり喋るこの男だが、一応自分の売る情報にプライドは持っている奴だ、ていうか信用できない情報なんてウチの組織は買わないし。

近いうちに、ほんまにあんのか、こいつが言うならあるんやろな。

それやったら、気が済むまで暴れられるかな。自分の命をギリギリまで削るような、本気のヤツ。

想像しただけで、ぶわっと、興奮で鳥肌が立つ。
ウチの人らが言うように、やっぱり俺にはこれしか無いのかもしれん。

センラの情報でってのが気分悪いけど、それでもウキウキしてくる自分はどうにも抑えられない。

『.........ねぇ、嬉しい?坂田、』

すっかりこれからの任務で頭がいっぱいになっていたら、端末越しに俺の名前を呼ぶ声で現実に引き戻された。
何故かいつもの揶揄う声音と少し違って聞こえる、なんだかお前こそ嬉しそうな問い掛け。

素直に肯定したらこいつの手柄みたいになりそうで、それは癪だから、なるべく感情を抑えた声で『戦えるなら何でもええわ』と返してやったが。
それでもムカつく事に、俺の感情なんてお見通しなんだろう、小馬鹿にしたようないつもの笑い声を上げてから、満足そうにセンラは『そうかそうか』と言った。

『ふふ、張り切るのはええけど、どぉせ今日もサプリとか栄養補助食品とかに頼ってロクなもん食べてないんやろ?
今度のはガチで命懸けのお仕事になると思うから、ちゃんと食べて栄養付けんと...冬は特に、冷えでカロリー使うから危ないんやで〜?』

「は、うるさ。何で俺の食生活まで把握してんねん、ほんまにキモいし...てか、俺が死んでもセンラには関係ないやろ。
......お前あれやな、知り合いが事故ろうが死のうが、何とも思わなさそうやな」

『えぇ〜?坂田に死なれたら困っちゃうなぁ、大事な大事な俺のおもちゃなんやから!
...ほんまに死んでもうたら、案外俺って繊細やから?寂しくって毎晩枕を濡らしながら眠るかもしれへんよ?』

「.........あかん、鳥肌立った、お前が泣くところとか全く想像できらんわ...、
人を陥れるのが趣味の、血も涙もない冷血人間のくせに」

『はぁ〜?そんなん言うならお前こそ、人殺ししか興味無いサイコやんけ!
やだぁ〜!坂田さんこわぁい!』

「あーうるさ!気色悪い声出すな!......はぁ...なんでお前と電話せなあかんねん......
ええか、もう切るぞ、二度とかけて来んなよ!じゃあな!」

『あっはは!はぁい、ばいばーい』

通話終了の間抜けな音が流れて、一人きりの狙撃場に静寂が戻ってくる。
端末の画面を見れば、そこにはしっかりと奴の電話番号からの着信履歴が残っていて。

一瞬電話もアドレスも拒否してやろうかと思い、拒否してもどうせバレてまた違う番号から連絡が来るだけだろうと、すぐに思い直してやめた。

それにしても今回も、また新しいタイプの嫌がらせだったな。
毎度毎度良くネタが尽きないなと思うくらい、奴の嫌がらせは幅広く様々で、うっかり感心してしまいそうなほどだ......しないけど。

忙しいのはフリだけで、あいつ実は超暇人なんじゃないか説が最近は俺の中で濃厚になりつつある。

いや、そんな事より。

デカい、任務、他国の組織の壊滅とか言うてたな、それの最前線で戦えるのか。
薄暗くて静かなこの場所、隠す相手もいないから遠慮なくニヤけられる。

派手に暴れられる、沢山動いて、沢山撃って、生きているって強く実感できるだろう。

そんな中で死んでも、きっと後悔は無い、

そこまで思考が落ちかけて、俺は急いで右耳のイヤリングに触れた。

ダメ、違うやろ?あの子が俺のために願ってくれたんやろ?

あぶないあぶない、俺は頭が良くないから、大事な事をすぐ忘れそうになってしまう。
いつの間にか、忘れないようにイヤリングを触るのが癖になっていた。

あの子の願いを叶えるんだ、このイヤリングが壊れるまでは、俺は俺を粗末にして死んではいけない。

間違って失くしたり壊したりしないように、そっと耳から外したイヤリングを、小さな巾着袋に入れてバッグに仕舞い込んだ。

どんな子だったっけなぁ、まだ子供だった頃の遠い記憶だ、殆ど思い出せない、けど。

朧げに思い浮かぶのは、華奢な肩とふわふわした髪、白いブラウス。
肌の色が白くて、両耳を彩る淡い黄色のキラキラしたイヤリングが良く似合っていて。

いかつい殺し屋とお偉いおっさんばかり見てきた俺には、あの子が本当にお姫様に見えたんだ。

物心ついた頃には、俺はもう戦うのが、殺すのが好きだった。
組織のおっさん達には『なんて素晴らしい才能だ』と手放しに褒められ、『血を浴びて笑っていたぞ、なんてガキだ』と陰で気味悪がられていた。
別にそれで良い、口先ばっかり良い事を言う奴らなんてどうでも良い。
強い事が俺の全部で、それを必要とされていれば俺は戦わせてもらえて、それ以外何も要らないって。

だからあの子が初めてだった。
血塗れで笑う俺の目を、震えながらも真っ直ぐに見て、俺にプレゼントをくれて。
『貴方様を守ってくれますように』だなんて、そんな事を願われたのは初めてだったから、凄くびっくりした。

あのお願いとイヤリングのプレゼントが無かったら、きっと俺は楽しい戦いに浮かれて、別にええわってとっくに死んでいたんじゃないかと思う。
それでも別にええとも思うけど。

だけど今でもこうして生き延びているのは。
多分、単純に嬉しかったから。

子供ながらに、初めて誰かに自分が生きている事を望まれたのが、俺は嬉しかったんだ。

狙撃場から地上に戻り、外に出る。

組織の重い扉を開けば、途端に突き刺すような寒さに包まれた。
ひえぇ寒い、思わず首を竦めて、雑に羽織っただけだったアウターの前をしっかり上まで閉じる。

何でか知らんけど、今年はやたらと寒い。
寒いと身体が硬くなるし、動きが鈍るから嫌いや、暑いのも大嫌いだけど。
そういや天気予報で、数年振りに雪が降るかもしれないと報じられているのを観たとか、誰かが言っていたっけ。

吹き付ける冷たい風にぶるりと背筋が震えて、同時にお腹の中が空っぽになっていく感覚。
センラに教わったと思うと癪やけど、寒いとカロリー使うのはほんまかも。

お腹が空いたら、食べなくては。
自宅にすぐ食べられるものなんて何も無いのはわかっている。

あーあ、早く帰りたいのに、面倒だなぁ。

溜め息をひとつ吐いて、俺は帰路から少し外れたコンビニの自動ドアを潜った。

一歩外に踏み出せば、まだ昼間だと言うのにどんよりと暗い空と、身を竦めたくなるような冷たい空気に迎え入れられた。

吹き付ける風が冷たくて、思わず肩に力が入る。
深く吸い込んで吐き出した息は、ここ数日でまた一気に下がった気温に合わせて、しっかりと白く色付いていた。

そっか、今日クリスマスイブだっけ。
そら寒い訳やな、年末やもん。

情報を売り物にして生きる自分に、信仰する神なぞ存在しない。
信じられるのは己の能力と、自分で見て集めた情報のみ。
だからどっかの有名な神様が、生まれたんだか死んだんだか処刑されたんだかもはっきりしていないような日に、何の思い入れもない。

ただ、人通りがいつもより多くて、街中がいつもより派手に飾られていて。
恋人達がくっついてのろのろ歩くのが邪魔なだけの、特別じゃないただの平日だ。
イルミネーションがキラキラしてるのは嫌いじゃないけどね。

あぁでも、強いて言えば。
奴のクリスマスイブを俺と過ごさせるっていう、絶妙に嫌な思い出を新たに追加してあげられるのは良いな。
今のところ恋人どころか、個人的な遣り取りをする間柄の女性さえいない奴だから、ちょっとインパクトの弱い嫌がらせになっちゃうけど。
俺がしつこく『俺と坂田はクリスマスイブを一緒に過ごした仲』ってうらたん達に言いふらせば、嫌でも忘れられなくなるだろう。
そう思ったら気分が良い、クリスマスもええもんや。

しかし、ほんまに勿体ないよなぁ。
まあるい瞳に高い鼻、お肌もスベスベで、女の子のような少年のような。
最近は髪色が落ち着いて更にイケメン度が増した、可愛らしく整った容姿を思い浮かべる。

折角見た目はええし、実はかなりの高給取りだ、無駄遣いもギャンブルも、酒も煙草もやらない。
普通にしていたら女の子達が放っておかないような奴なのに、クリスマスを一緒に過ごす恋人もおらず、素人どころかプロにも未使用のガチ童貞だなんて(本人が戦う事にしか興味が無いから、性欲死んでるのかもしれんけど)。
女の子だってあいつの中身が人殺しサイコだと知ってしまったら、どれだけ外見が良くて金持ちでも、怖くて誰も近付けないだろう。

そんな本性を知らずに、あいつの事を『ちょっと良いな』って気にしている、奴がいつも行く近所のコンビニでバイトする女子大生とか、いつも睡眠導入剤を購入する薬局の薬剤師のお姉さんとか、そういう人間もいるけど。
『私ってちょっとアブナイ男に惹かれちゃうの〜』系の、最近坂田に接触しようと試みたりしちゃうような、同じ組織に所属している女もいたりするけど。

まぁその辺は、俺が彼女達に見合った素敵な男性を充がってあげよう、それがええ、あんな男に人生振り回されちゃ彼女達が勿体無いからね。
アブナイ男好き系女は、この前うらたんとお喋りしに組織お邪魔した時、すれ違いざまに挨拶したら良さげな反応やったから、俺が相手してあげちゃおうかな!
そうやねぇ、軽ーくアプローチすればあの手の女性は簡単に落とせるから、サクッとお付き合いでもして。
俺や坂田みたいな、この業界に居る男との交際は疲れるって思わせた頃に、穏やかな一般男性と出会わせて靡かせてあげるのはどうだろう?

脳内でプランを立てて、気分はすっかり浮かれている。
こういう時に俺の容姿は丁度良い、美形過ぎずけれど誰に会わせても恥ずかしくない、突出し過ぎなくて清潔感のある、この程良いビジュアルが何かと便利だ。

うんうん、我ながら素敵なアイデア、これで可哀想な女性達を救ってあげられる。

あいつに、彼女なんて要らん。
愛する人とか大切な物とか、殺し以外であいつの視界に入れるものは、俺以外に要らんの。

思い出すのは、初めて彼に出会った夜。
俺達に襲いかかってきた沢山の人があっという間に倒れて、その死体の向こうで、お前は返り血に濡れた顔で笑っていた。

家族も、集まっていた親族達も、殆ど皆血を流して倒れていて、幼かった俺はただただ恐怖に震えるばかりで。
座り込んだ俺に差し伸べられた手、ギラギラと光る目、恐ろしい程無邪気に笑うその少年に。

ひと目で惹き込まれたあの夜から、俺の世界は塗り替えられたんだ。


「...ふふ、やっと着いた......」

重めの扉を開いて中に入れば、冷たい風が遮断されて、ほっと無意識に身体に入っていた力が抜けた。

辿り着いたのはそれなりにセキュリティのしっかりした、割と小綺麗なマンションのエントランス。
そして此処は、坂田の住居。

勿論これは大切に守られなきゃいけない個人情報だから、奴の所属する組織の、その中でも立場が上の者しか知らないものだ。
残念ながら俺にかかれば、ちょちょっと組織のデータベースにアクセスするだけで、簡単に調べられちゃうんやけど。

ウキウキした気分で、試しにルームナンバーを押してインターホンを鳴らしてみるも、案の定何の応答も無い。
う〜ん、想定通り、絶対出ないと思ってた、というかあいつ誰が来たか確認もしてなさそう。
今日は自宅で待機って指示やから絶対に居るのに、やっぱり居留守使ったなぁ。

予想通りの行動をされるとつい楽しくなってしまうのは職業病みたいなものだ、勝手に上がる口角を引き締めて、ポケットから二つの鍵を取り出す。
ひとつはセキュリティを解除する鍵で、もうひとつはあいつの部屋を認証するためのもの、勿論無断複製。
二重ロックとか生意気やなぁ、けどまぁ他にお金の使い道も無いんやろなあいつ。

良いタイミングで到着したエレベーターに乗り込み、そのままゆっくりと上昇するのを待つ。
かなり高さのあるマンションの中で、奴が住むのは中間くらいに位置する部屋だ。
夜景が綺麗とか最上階マウントとか、そんな事より敵に乗り込まれた時即座に脱出できる高さ、しっかり計算しているんだろう、あいつは根っからの殺し屋だから。
あいつの生活の全てが組織とお仕事だけで構成されている事が、こんなちょっとした所からも伺える。

世界も視野も狭い、世間知らずで間抜けで孤独な男。
誰も気安く接したりできない、めちゃくちゃ強くて恐れられているあいつ。

そんな奴がさぁ、俺の手の込んで子供じみた悪戯に、毎回腹を立てて騒ぐの。
最高やろ?こんな事って俺にしか出来ない、あいつの強さや恐ろしさに怯まない事も、しっかりと囲うセキュリティを掻い潜って接触するのも、凡人にはとても出来ない事だ。

俺だけの特権、能力を最大限に活かした悪戯の数々。

辿り着いた下調べ済みのひとつの扉、手の中にある鍵に彫られた数字とルームナンバーが同じ事を確認して。
どうしよっかな、少し迷って、敢えてその鍵は使わずインターホンを押した。

扉にぴたりと耳を当てて中の様子を探れば、近付いてくる足音、サンダルか何かを引っ掛ける音、中から鍵を回す音。
ゆっくりとドアノブが軋む音。

「............は?」

少しだけ開かれた扉の隙間から覗く、会いたくてたまらなかったその顔。
初めは目を見開いて驚いていた表情が、徐々に苛立ちに変わっていき、疲れたような剣呑な顔に行き着く。

「さーかた、メリークリスマス♡
まだイブやけど」

急いで閉めようとした扉に身体を捻じ込んで玄関へとお邪魔すれば、ヘロヘロの部屋着にモコモコ靴下にサンダルを履いた、完全オフモードな装いで、心底嫌そうな顔の坂田にしっかりと睨まれた。

ほら、こんな事俺にしかできないやろ!
殺しにしか興味のない、誰にも関心の薄いこいつが、こんな風に感情的に苛立つ相手は俺だけ。

今、こいつは、俺だけを見ている。

「.........今すぐ出てけ」

「い、や」

「......ほんまに、ぶん殴ってやろうか...」

「待て待てぇ、ちゃあんと俺お仕事しに来たんやで?追い返すなんていけずせんといてよぉ」

本気で殴ろうと握られた拳を振り下ろされる前に、バッグからファイルを一冊取り出して坂田の顔に突き付ける。
デカデカと表紙に書いた『12/24マル秘資料』のタイトルに、一度ぽかんと開いた口が嫌そうにひん曲がっていくのが、もう面白くて面白くて。

そう、あの夜、俺はその笑みに目を奪われた。

血に濡れて楽しそうに、どこまでも孤独に、純粋な目で笑うその男に、俺は一目惚れしてしまったんだ。

所謂貴族階級だった俺の家族は、同じ血族の人間に裏切られて虐殺された、良くある話だ。
世間知らずなお坊ちゃんだった俺は、家族も家も、全てを失った絶望から自分で立ち直る事も出来なかったが。
運良く別の国に住む親戚の家に保護されて、文化の違う国で穏やかに普通の生活を送りながら、少しずつショックも癒えていって。

だけど、あの夜の彼の瞳だけは、いつまで経っても忘れる事ができなかった。
全部を失くしてしまった俺に残った執着は、これだけだったから。
俺は結局、またこの国に戻ってきた。

どうしてもまた会いたくて、ただ一目見たくて。
情報を集めるためにハッキングを学び、才能があったお陰でハッカーを本職として生計を立てられるようになった。
そして、あの夜俺を助けてくれたのが、この国が秘密裏に所持している組織で、組織の存在を隠すために事件ごと隠蔽されていたという事実にようやく辿り着いた。
組織に所属する人間には戸籍も存在しておらず、調べる事に限界が来た俺は、今度は情報屋を名乗り、何年もかけて信用を得て、組織に足を運ぶ事を許されるようになって。

そうして、やっと見付けたんだ。

見るからに上層部の、高級そうなスーツを纏ったおっさん数人に囲まれた彼は、あの夜あんなにギラギラと輝いていた瞳に、何の感情も浮かべていなかった。
せっせと功績を褒め称える声も何も聞いていないようで、ぼんやりと遠くを見て。

だけど、話題が今度の任務に移った途端に、無感情だった瞳がギラリと光ったのを、俺は見逃さなかった。

間違いない、彼だ。
あの夜から変わらない、ずっともう一度見たかったその瞳に、やっぱり俺はどうしようもなく惹かれてしまったから。

人間は欲深い、一目見られたら、なんて叶ってしまえば更に次を求めるもんだ。

何でも良い、どうにか俺をその瞳に映したいと思った。

特別に、なりたいと思った。
孤独なこの男の周りにいる他の誰よりも、近い存在になりたかった。

普通に近付いたって、普通の知り合いにしかなれないよな。
それじゃあ意味ない、特別な、一番になりたいと思った。

どうにか好かれたくて、最初は優しくて爽やかな好青年キャラで接してみた。
ところが、どんな野生の勘が働くのか『嘘臭くて気持ち悪い』と遠慮の無いあいつに一蹴されてしまって。
次は丁寧に真摯に接したら『難しい会話は面倒だ』と相手にされなかったし、その後も様々なキャラクターを演じてみたけれど、どんな性格で接しても坂田の反応は良くならず、どれを試しても全くこっちを見てくれなくて。

これじゃあ俺も、その他大勢の人間と変わらないじゃないか。
ただの顔見知りなんかでは嫌だ、特別じゃなきゃ意味がない、なのにどうしたら良いかわからない。

焦った俺は、俺にしか出来ない何かを必死に探したけど、あの瞳を自分に向ける手段がどうしても見付からなくて。

あの頃はめちゃくちゃ病んだな〜、本職まで手につかなくなったのは流石にヤバかった。

『なんでこっち見てくれないの!』ってメンヘラみたいに泣いたり、子供みたいに一人で逆ギレしたり。
散々暴れて荒れて、そしてある日、急に思い付いたんだ。

『好かれるのが無理なら、嫌われちゃえば良いんじゃないか?』って。

ぶっちゃけヤケクソだったと今では思う、人生をかけて探し出した人に嫌われる方法を探すなんて。
だけどこれしかなかった。

警備が手薄な日を念入りに調べて、そして決行の日、俺は組織のセキュリティを一時的にスリープさせてから、坂田のデスクがあるオフィスに忍び込んだ。

ハッカーとしてちょっと荒い事をやったりはするけど、自分が動く場面でここまで思い切った事をするのは初めてで。
あの時はほんまにめちゃくちゃドキドキした、今ではもう慣れちゃったけど。

それまでの人生で、誰かに嫌がらせなんてした事も考えた事も無かったから、最初の一回目は子供の悪戯に毛が生えた程度の可愛いもんだったと思う。
しっかり三台設置した監視カメラで、初めて感情的な表情や動きを見たあの時は、ちょっと変態っぽいけど、かなり興奮した。

ちゃんと『俺がやった』って顔と名前を覚えてもらえるように、良い感じにウザそうなキメ顔の写真に丁寧に名前を書いたものをデスクに貼っておいたら。
暫くその写真を見詰めた後、坂田は『あいつか』と言った。

あまりに嬉しくて、涙腺が弱い方では決してないけど、この時はちょっと泣いた。

好意より嫌悪の方が感情が消え難い、なんて説もあるくらい、『嫌い』の感情は強い。
つまり『好き』よりも特別だ、あいつが『嫌い』だと思うほど関心のある人間なんていないもん。

これしか無い、こいつにこんな嫌がらせを出来るのは俺しかいない、
これだったら坂田は俺を認識する、俺は特別になれる、俺だけ。


「ほら、お仕事の話するでぇ?相手さんの弱点とか、いっぱい情報仕入れてきたんやから!
寒いから早くお部屋に入れて?」

「......お前、ほんっまにサイアク...」

こんな感情的な目、他の誰も向けられた事無いやろ、めちゃくちゃ気分ええわ。
だって今こいつは、俺だけを見て、俺だけに苛ついている。

こんなのって、最高やろ?


「はい、これで大体の説明は終わりやな」

「......頭使ったから眠くなってきた...」

「ふふ、脳筋坂田さんには難しいお話やったかなぁ?」

「.........全員倒せばええだけの話やろ」

「うわぁ、ほんまに脳筋」

パタンとファイルを閉じれば、坂田はわかり易くホッとした様子で、大きく伸びをした。

今回の為に集めた情報を、なるべく簡潔に、恐らく坂田の組織の誰よりも丁寧に説明したつもりだけれど、それでもこんな調子かぁ。
これはうらたんもさぞかし苦労しているだろう、それでいて理解度の低さを強さで捩じ伏せられてしまうんだから、もしかしたら余計なお世話なのかもしれないけど。

因みにこの情報を直接プレゼントしにお邪魔するためだけに、今日一日坂田が自宅待機になるよう色々操作したのが実は俺だって事は、流石にうらたんにもブチ切れられそうなので内緒だ。
でもさ、坂田達は有益な情報を優先的に受け取れるし、俺は追い出せない理由を持ってのお宅訪問が出来て大満足、素晴らしいじゃないか。

ソファにだらりと脚を伸ばした座り方、きっと毎日のように潰されて形の崩れたクッション、疲れてきた時に首をボキボキと鳴らす癖。
全部家の中でしか見られない、今後使い道が豊富な情報達だ。

イメージ通りちょっとズボラで、男の子って感じ。
この家にまだ訪れた者がいない事もリサーチ済みだ、つまりこんなおうちモードの坂田を知るのも俺だけ。
う〜ん、めちゃくちゃ気分が良い、来れて良かった。

「......おいセンラ、お前いつまで居んねん、話す事終わったんなら帰れや」

「えぇ〜!坂田さんひどぉい、用済みになったらすぐ追い返すなんて、そんなんじゃモテないぞっ!

...と言いたいところやけど、俺も色々忙しいし、そろそろお夕飯の時間やからお暇するわ」

「............お前は余計な事を言わずに帰る事もできんのか...」

もっと長居して坂田を観察していたいから名残惜しいけれど、残念ながら忙しいのは本当だ。
合鍵も(無断で)作った事だし、また来れば良い、次は寝室に忍び込んで悪戯するのもおもろいかも。

さっさと帰れと急かされながら、玄関で靴に足を差し込もうとした時。

「.........ちょっと静かにしといて、」

「は?なにが、」

「説明はあと。電話が終わるまでええ子で黙っとき?」

複数使い分けている中で、今一番鳴って欲しくない端末が、振動で着信を知らせた。
俺の指示に不満げだった坂田も、こちらの様子を察したのか身動ぎもせず黙っている。

耳に当てた端末から入ってくる最新の情報は、予想していた通り、やはり喜ばしくないものだった。

「.........終わったんか?何の電話やったん?」

「...残念なお知らせや、坂田んとこの第一部隊がしくじったらしい。
バラバラに潰す予定だった相手さん方が、三拠点纏まって応戦しとる、もう自国に援護の要請も出てるわ」

「......っ、何やっとんねん...!すぐに俺らの部隊も行かんと...」

「待て、今は行ったらあかん」

すぐにでもライフルを持って飛び出して行きそうな坂田の腕を掴んで、なるべく落ち着いた声を意識して引き留める。
焦りから苛立ったように振り解かれても、もう一度その腕を掴んで引き寄せた。

「何で邪魔すんねん!こんな時まで嫌がらせか!」

「んな訳あるか阿呆、一旦落ち着け。
ええか、お前がどんだけ強くても、一人で飛び出したって数で負かされるだけや、流石にわかるやろ?」

「.........けど、」

「うらたん達も今作戦の変更に動いてるはずや、次の指示が来るまでは待つしかない、最悪個人行動が組織全体の命取りになる可能性だってある。
...ちょっとの間だけ、辛抱できるな?」

「............新しい情報入ったら、すぐ教えろ」

「任しとけ」

納得していない表情を浮かべながらも、しっかり頷いたのを見届けてから、掴んでいた腕を放す。
取り敢えず坂田が単身敵地に飛び込むようなヤケな真似は阻止できた事に、俺はこっそり胸を撫で下ろした。

それにしても。
第一部隊の能力値は当然把握済みだ、初手で飛び込むのに相応しいと俺も判断していた。
不足の事態が起こるのは仕方ない、しくじったのも間違いないが、相手さんもなかなかに勘が良いし応戦も速い、自国へ出した応援要請の規模も未知数だ。

「...もう暫く、長居させてもらうで」

「......今回ばかりはしゃーないわ」

今はただ、次の情報が届くのを待つしかない。

どれくらい、時間が経過しただろう。

ローテーブルを借りてノートパソコンで情報を調べる俺と、ソファに座り端末を弄り続ける坂田と。
お互い殆ど言葉を交わす事も無く、少しずつ空気が張り詰めていくのを感じていた。

「.........ゆきだ、」

「...え?」

「雪、ほんまに降ってる、珍しいな」

坂田につられて窓を見遣れば、薄暗い空から白いふわふわしたものがいくつも落ちていく。

「......やたら寒いと思ったら、今日はホワイトクリスマスか」

「積もられると足場が悪くなるな...」

「うわ、ほんまに坂田って戦う事しか考えてないんやな、引くわぁ」

「はぁ?この後戦いに行くんやから当たり前やろ、いちいち突っかかってくんな鬱陶しい」

「はいはい、坂田さんは短気やねぇ、ほんまの事言うただけやのにぃ」

「...その喋り方、腹立つからやめろっていっつも言うて、

『きゅう』

いつものノリで始まりかけた言い合いに、割って入ってきた妙に間の抜けた音。

最初は気のせいかと思うくらいの控えめな音量で、しかし続く『ぎゅぅ、きゅうぅぅ』と響く音は、どう考えても目の前に居る男の腹から鳴っていて。
思わず吹き出しそうになった途端、共鳴したように俺のお腹まで負けないボリュームで鳴るものだから。

「.........」

「............」

「...............ふっ、」

「......っふふ、今のって、...ふふ、坂田の、」

「...っくふ、ちゃうやろ...最後に鳴ったのセンラやって......ふ、」

「ふふっ、ふ...坂田、お前、笑うなって、」

「んふ、は、っくく...お前も笑ってるやんけ......っふふ、」

緊迫した空気、笑ってはいけないタイミング。
笑うな、と思うほど笑えてきてしまうのって、ほんまになんでなんやろ。

だって、こんな時に、二人してお腹鳴らして、なんて間抜けなんだ。

頑張って耐えたが、ついに二人同時に吹き出せば、張り詰めていた緊迫感も途切れてしまう。
あかん、俺結構ゲラなんやって、一度笑い出したら坂田の顔を見るだけで笑えてしまって、俺が笑うせいで坂田もつられるから無限ループだ。
暫く馬鹿みたいに笑い転げて、収まった頃には二人してぐったりと疲れ切っていた。

「......はぁ、はぁ...あはっ、はー、しんどい、お前笑い過ぎやろ......はぁ、」

「ふふっ、...坂田こそ......、お前がそんなに笑ってるとこ、見た事無いぞ...」

ソファに突っ伏して震えている坂田は、本気で息が切れてしんどそうで。

こんなくだらない事で爆笑している姿も、きっと誰も知らないはずだ。

俺だけが知っている坂田が、またひとつ増えた。
今この瞬間だけ切り取ったら、まるで一番求めていたあの『特別』になれたみたいやな、なんて。

今更無理だってわかってる、必死に作り上げた関係性を壊すつもりもない。
だけど錯覚でも良いや、楽しい。

「......くそ、なんか食えるもん買っといたら良かった、何も無いやん...」

「...そぉやね......買い出しにでも行く?」

「いや、買い物なんかしてたら、うらさんから連絡来てもすぐ対応できん......から、我慢する、別に食わんでええわ」

堪えるように口をぎゅっと引き結んで、坂田は俯いた。
なんだ不器用な子供みたいだ、融通がきかなくて、妙に頑固で。

強がったってお腹は空くだろうに。
ほんまに戦いばっかり優先する奴やなぁ、空腹のままで、ちゃんと動けんのかお前。

身体もそうだし、頭もだ、咄嗟の判断も鈍り易くなる。
そんな状態で今回の紛争に出ていくなんて、あまりにも危険だ。

ほんまに何も、食べれそうなもの無いのかな。

「...坂田、冷蔵庫とキッチン、ちょっと覗いてもええか?」

「......へ?...いや、別にええけど、何も使えそうなものないと思うで?」

俺の申し出に、坂田は一瞬ぽかんと呆けたが、すぐに了承してくれたから、早速あちこち開けさせて貰う。

キッチンの引き出しの中には大袋のパスタと、冷蔵庫から卵や飲みかけの牛乳、コンビニに良く売られている千切りキャベツ、カット野菜ミックスなんかも発掘した。
調味料は塩や砂糖くらいで、ざっと見た感じ殆ど置いていない。

「.........なぁ、ほんまに何も使えそうなもんなんて無いやろ?...悪いけど、俺自炊とか殆どせんから...」

あまり見た事のない、少し眉を下げた申し訳なさそうな顔がなんだか可愛くて、軽率にキュンとしてしまう。

「...いや、こんだけあれば、豪勢ではないけど、そこそこのもんは作れる...かな?」

「え!マジで?!」

パァッと坂田の目がわかり易く輝いて、弾んだ声はなんとも素直で。

ほんまにズルいわ、そういうの。

「ふふ、心配すんな。俺に任せとき?」

そんな顔をされたら、何とかしてあげたくなってまうやろ。

安心しろという意味を込めて、俺は坂田に向けて微笑んだ。

いつから使われていないのかわからない鍋の表面を流水で適当に流して、そこにたっぷりの水を張って火にかける。
水が沸騰するのを待つ間に、冷蔵庫にぽつんと取り残された卵三個を取り出した。

「...なぁ坂田、この粉チーズ、賞味期限の字が消えてるんやけど」

「あー...多分使える、と...思う......いや、いつ買ったか忘れたけど、多分、」

「っふふ...粉チーズって一人暮らしやと、ふふ、案外余るよなぁ?...ふ、くくっ......」

「.........なんで笑うねん...笑うなや...」

「いや、だって...あは、無慈悲な殺し屋『black night』も、おうちに帰れば庶民的な、普通の男の子やなぁと思って...」

「だから!それの何がおもろいんや!笑うなぁ!」

「あは、ふふ......すまんすまん、...っふふ、」

口を尖らせて拗ねた顔をする坂田を適当な謝罪であしらえば、余計にむっすりと不機嫌な表情になる。
それでいて俺のやる事に興味津々な目で、後ろからチラチラと覗き込んでくるのがなんだか微笑ましくて。
子供みたいだなぁ、なんて思ったら無意識に手が、その髪に伸びて、触れる直前で慌てて引っ込めた。

危ない危ない、そんな接触、拒否されるに決まってるんやから。
なんだかさっきの気分を引き摺ってるな、ただの錯覚を勘違いしてはいけない。

拒否されて、永遠に縮まる事のない、自分で作り上げたこの距離に一人で落ち込むだけなんやから。

卵はケースに印字された消費期限が問題無い事をしっかり確認してから、黄身と白身を分けて椀に割り入れ、それぞれしっかり解きほぐす。
多少期限過ぎててもちょっとくらいなら何ともないやろ、そう結論付けた粉チーズと、少量残っていた牛乳も黄身を入れた方に注いで、軽く混ぜたら常温になるように放置。
ついでに冷蔵庫の奥にちんまりと収まった、絶対焼いて食べるの面倒になったか飽きたんやろうな、と予想できる半端に余ったウインナーを、気持ち厚めに斜めにスライスしておく。

「坂田ぁ、何か調味料的なもんて、塩と砂糖以外にこの家にある?」

「えぇ...?なんかあったかな......醤油と...あ、四角いコンソメなら、」

「お、上出来や、コンソメ何個か使わせてもらうで」

「持て余してるから全部使ってや」

「阿呆か、そんな大量に入れたら塩辛過ぎて食べられへんわ」

ハーブソルトやらガーリックパウダーやら、そんな洒落たものがこいつの家にあるなんて期待していなかったから、味付け出来る物があっただけで上出来だ。
フツフツと鍋に張った水が沸騰し始めたら、やや控えめに食塩で味を入れてから乾いたパスタと、袋入りのカット野菜セットを全部投入して。
坂田にパスタの茹で時間を計るよう声を掛ければ、何故か少し嬉しそうに端末のタイマー機能を操作し始めた。

なんだか、母親のお手伝いをしてるみたいやな。
ソワソワとこちらの動向を気にする様子も子供みたいで、見付からないようにこっそり笑う。
組織で生まれ育った坂田と、早くに親を亡くした俺、一般的な家族を知らない俺達にはただの想像でしかないけれど、普通の家庭で育っていたならこういう経験が当たり前の日常になっていたのかもしれない。

フライパンにウインナーを入れて、脂を出すように揺らしながら炒める。
ウインナーの表面に肉汁と脂がじゅわじゅわと浮き出てきたら、これも冷蔵庫に忘れ去られていたのだろう、少し萎びた千切りカット済みのキャベツも袋を開いてフライパンにぶち込んだ。
ざっくり炒めたところで坂田の端末が茹で時間終了をアラームで知らせてくれたから、茹で汁を纏わせたパスタをフライパンへ、水気を切り過ぎないように気を付けながら移す。
鍋とフライパンにそれぞれ固形コンソメを投入したら、フライパンの方はパスタの水分でコンソメを溶かしながら全体の味を纏めるように炒め合わせて。
茹で汁と野菜の残った鍋にもコンソメを溶かしてから、余った卵白をゆっくり回し入れて蓋をして放置。
パスタの水っぽさが程良く無くなったのを見計らい、火を止めてから卵と牛乳と粉チーズを合わせた液体を回し入れ、手早く掻き混ぜる。
火を止めないと固まり過ぎるしモタつくと絡まないから、ここが一番のスピード勝負だ。
ぐるぐると混ぜ続けると、余熱で程良く固まった卵がもったりと重くなっていき、ふわりとチーズやミルクの香りが立ち昇る。

うん、ええ感じ、美味しそう。

しっかりと卵液がソースになったのを確認して、盛り付ける為に皿へと手を伸ばそうとした時。

不意に、顔の近くに気配を感じて、驚いて思わず肩がびくりと跳ね上がった。

「.........ええ匂いする...」

「ぅ、わ、......ちょ、っ近いわ!邪魔やからあっち行っとけや、」

スン、と鼻を鳴らして後ろからフライパンを覗く坂田の顔が、自分の耳のすぐ隣にある。

思った以上に近かった距離に心臓もドキドキと音を立てて跳ねて、危うく指先に触れたお皿を取り落としそうになった。

「なんや、褒めただけやのに」

俺の言葉にむっと顰められた眉、つまらなそうなひと言を零してすぐに離れて行く背中を目で追って。
あぁ、またやってしまったと気付いてももう遅い、びっくりして咄嗟に出てもうただけや、なんて、今更言い訳もできない。

......今のは、流石に感じ悪かったよな。

普段の自分なら、他人からの印象を良くするための言葉選びなんて得意中の得意だ。
だけど坂田には上辺の対応が見抜かれてしまうし、嫌がらせと嫌味ばっかり言っていたら癖になってしまって。

他の人間相手ならもっと上手く立ち回れるのに、どうしてお前だけは騙されてくれないのか。
誰よりも騙されてほしいのはお前なのに。
坂田と関わっている時だけ、俺は何故かいつもより少し不器用になったような気分にさせられる。

まぁ、別にええんやけど?お前の中での俺の好感度が上がる事なんて一生無いやろうし?

無関心よりずっと良い、自分でこの関係性を選んだから、これで良いんだ、そう自分を慰めて強がってみて。
別にええんやったら何を慰める必要があるんや、と自分に突っ込んではまた虚しくなる。

お前が、普段人に気安く近寄ったりしないの、知ってるんだぞ。
殺し屋よろしく気配消してくんな、こんな距離感慣れないし、焦るやろ、やめろや。

頭の中で次々と文句を並べて、だけど結局伝える事もしないただの八つ当たりで、情けなくて笑ってしまう。

お前の中には、この距離に対する意味も理由も無いくせに。
俺だけが掻き乱されている事も知らないくせに、

爪の先が、陶器にこつりとぶつかって。
思考に沈み込んでいた事に気付き、割らないようにしっかりとお皿を掴み直した。

あかん、折角作ったのに冷めさせてまうわ。
窓に目を向ければ、ガタガタとガラスを揺らすくらいの強い風、珍しく降った雪が横に流れていく。
エアコンを起動していても身体の芯がじんと冷えるような日だ、あったかいものをあったかい内に食べさせてあげたい。

少ない中からパスタを盛れそうなお皿を探して、なんとか平皿と、少し浅い造りの丼皿を見付けだした。
ちぐはぐな二枚に適当に盛り付けながら、片手間で白身をほぐすように軽く鍋の中をかき混ぜて。
一番固いニンジンも柔らかくなっている事を確認したら、茹で汁を利用した手抜きスープも完成。
こちらも合う器が無かったから、苦肉の策でマグカップと、味噌汁に使うようなお椀で妥協する事にして、一緒に使えそうなカトラリーも探す。

小さい引き出しに乱雑に収められた中から、パスタに良さそうな大きめのフォークを見付けて取り出して。
ふと、坂田の硬くなった表情が視界に入り、あぁ成る程と思い直して二膳の箸に持ち替えた。

人殺し養成所みたいな組織で、まともな教育も受けずに殺しだけ教わって生きてきた坂田には、きっとテーブルマナーなんてものは縁遠かっただろう。
そもそもあまり手先の器用な奴じゃないしな、俺と坂田の二人で食べるのに、気取る必要もないだろう。

ソファの前のローテーブルに箸を並べれば、坂田がホッとしたように口元を緩めるから、俺の頬もつい緩んでしまいそうで。
こいつにだらしない顔を見せたくなくて、しっかりと表情筋を引き締めた。

パスタもスープも、それぞれ違う器に盛り付けたものをテーブルに並べて。
うーん、見栄えはどうにも決まらないけど、しゃーないか。

これであり物で作った夜食セットの出来上がり。

坂田はソファに座って、俺はちょっと迷ってから、流石に隣に座る気にはなれなくて、ローテーブル前の床に直接腰を下ろした。

「はい、どうぞ、召し上がれ」

「...カルボナーラ?」

「んー...まぁ、近いところその辺かなぁ?適当に作ったから、何って呼べる料理名も無いんやけど」

「ふぅん......でも、美味そう」

「ふふ、冷める前に食べてや?」

「.........ん」

小さく頷いた坂田が、ぱちん、と両手を合わせるから、俺も真似て手を合わせて、いただきます。

坂田の手が、迷わずスープを注いだマグカップへと伸びた。
今日はほんまに寒いからな、あったかいものが欲しくなる気持ちは良くわかる。
ふぅ、ふぅ、と息を吹き掛けてから、そっとマグカップに口を付けて。

ゆっくり傾けられるのを、つい食い入るように見守ってしまう。

手料理を他人に振る舞った事くらい、もう何度もある。
親しくなったと錯覚させて油断を誘う為に偽の自宅に招待したり、単に家庭的な印象で気を緩ませたり、全ては情報を引き出す事が目的だった。

だけど今回は、相手は俺にも食事にも興味の無い坂田と言う男で、作った理由だって...坂田が、少しでもあったかい物を食べて身体を温めて欲しいだけで。
あわよくば、美味しいって、喜んでくれたらええな、なんて、

え、俺キショい、こんなピュアな理由で行動するとか、らしくないにも程がある、ヤバい痒い今全身鳥肌なってる、俺キショい。

こんな事で緊張するなんて馬鹿馬鹿しい、わかっていても左胸は勝手にドキドキと高鳴る。

顔の割に男っぽい喉仏が何度か上下して、唇が静かに離れた。
ふっと息を吐いて、白くなっていた頬がほんのりと色付く。

「.........何、見てんの」

寒さで硬くなっていた表情も少し和らいで見えるから、反応的に不味くはなかったんだろう、とこっそりと胸を撫で下ろした時。

坂田の目線がマグカップから俺の方にゆっくりと移り、それから訝しげに目を細められた。

やべ、見てるのバレた。
何と言い訳しようか迷ううちに、然程言及するつもりはなかったのか、坂田の目線はまた自分の手元へと戻る。

「ぼーっとしてらんで、お前も食え」

コトリと控えめな音でマグカップがテーブルに置かれ、空いた手がローテーブルに乗った皿へと伸びた。
坂田らしい雑な手付きで引き寄せるから、盛り付けられたパスタが揺れる。

とろりと濃い黄色のソースが絡まったところに箸が差し込まれて、持ち上げると中からふわりと湯気が上がった。
そのまま躊躇なくパスタを口に押し込んで、熱かったのかハフハフと熱を逃しながら咀嚼して、飲み込む。
パッと目が見開かれて、続けてさっきより多い量のパスタを箸で掬い、口に運んではまた熱そうに息を吐いて、だけど箸はもう次のひと口分を持ち上げていて。

次々と食べ進める坂田を、気付かないうちにまたじっと見詰めていた。

こいつ、結構美味そうに食べるやん。
あまり食に関心が無い事は情報として知っていたのに、目の前で見るまで知らなかった。

しっかり口を動かして良く噛んで、大きめに切ったウインナーを口に放り込んだらわかり易く頬が緩む。
かなり多めに茹でた筈のパスタはどんどん減って、あっという間に盛り付けた山が小さくなっていく。

確かにお行儀が良いって食べ方じゃない、けれど。
頬を膨らませて、口いっぱいに詰め込んで。
ちょっと汗までかいて真剣にがっつく様は、見ていて気持ちが良いくらい。

考えてみたら、凄い光景やな、俺が作った料理を坂田が食べてるなんて。
こんな日が来るなんて、想像した事もなかった。

なんだか感動していたら、不意に坂田が手にしていた皿をテーブルに戻して、顔をこちらに向けるからしっかりと目が合う。

「.........お前、何やねん、...そんな見られてたら食い難いんやけど、」

ちょっと眉間に皺を寄せて、口はへの字に曲がっている。
嫌そうというか、なんとも微妙な表情を浮かべる坂田に、俺はまた見入ってしまっていた事に気付き慌てて目を逸らした。

「...いやぁ、俺みたいな信用ならない奴の作ったごはんを、良く食べれるもんやなぁって。
どうする?毒でも盛られてたら流石の坂田も終わりやでぇ?」

内心焦りつつ、表情筋は反射でいつも通りの、坂田から言わせれば嘘臭い笑みを作り、口を開けば言葉が勝手にベラベラと流れていく。
俺の口先だけの言葉に、あっそ、とだけ返して、坂田の目線は俺に興味を失ったようにマグカップへと戻っていった。

また、余計な事言うてもうたな。
すぐに沢山の言葉を並べて本心を煙に巻こうとするのは、多分俺の弱さだ。
そんな事喋ったって、余計に坂田に不快感を植え付けるだけなのにな、俺って頭はええのにバカなのかも。

わかってやっているのに、気分は少し沈んでいく。
聞こえないように小さくため息を吐き出した時、

「変な事言ってらんで、お前もあったかいうちに早く食えや。
......折角美味しいんやから」

ボソボソと、口の先だけで発したような声で。
それでも隣に居る自分には、しっかりと聞こえた。

坂田が、美味しいって、言った。

おいしいって、

そう頭の中で繰り返して、理解した途端顔に一気に熱が集まっていくのがわかる。

あかん、待って、
どうしよう、こんな事言われると思わんかった、ヤバい、顔も耳もあっつい。

不意打ちに弱い自覚はある、肌が白いせいで赤くなった時にバレ易いのも。
どうしよう、と狼狽えた手が温かいお椀に触れて、熱い物を食べたせいだと誤魔化すために急いでスープに口を付けた。

味噌汁用のお椀からひと口飲み込めば、器に不似合いなコンソメの風味と、一緒に煮込んだ野菜の甘さも感じる。
キャベツやらにんじんやら、後は何が入っていたっけ、どれもしっかり煮たからクタクタに柔らかくなっていて、ふわふわの卵白と控え目な味付けで、全体的に優しい印象。

鶏肉とかベーコンとか、旨味が出る具材も無いし、ブラックペッパーや香草等も無かったから、言ってしまえば優しいだけで締まりのない、ちょっとぼんやりした味だ。

まぁこんなもんか。
有り合わせで作ったにしては、それなりに形になったかな、そんな味。

次に丼皿を手に取って、少し冷めてソースが重たくなったパスタを箸で持ち上げる。
丼に箸でパスタって、なんだか何食べてるかわからんな、自分なら絶対にしない組み合わせにちょっと笑ってしまう。

ひと口含めば卵黄とチーズの濃厚な風味が広がって、こちらはウインナーが入っている分スープよりはしっかりした味だ。
濃度の高いソースがパスタにも千切りキャベツにも良く絡んで、うん、意外と美味しい。

だけど本音を言えば牛乳より生クリームを使った方が香りが良くなるし、白だしや旨味調味料的なものがあればもっと纏まった味になる。

もっと良くなる方法を知っているから、なんだか惜しいと感じてしまう、けど。

「......な?美味いやろ?」

目線は、スープの表面に向けたまま。
ほんのり口角の上がった、あまり見た事のない穏やかな表情で、坂田がぽつりと言ってくれたから。

ほんまは、もっと美味しいものも凝ったものも作れるんやで、そうアピールしたくなる気持ちよりも。
こんな雑で素朴な味付けでも、ちょっと嬉しそうに何度もマグカップを傾ける横顔を見てしまったら、これで良いんだ、って、

「......うん、美味しい...」

なんだか味以上に、あったかい気持ちで満たされていく気がして、素直に頷いたら。
何故だか坂田は、俺の方にチラッと目線を向けて、それから少し目を見開いた。

「...え、なに、」

「......そうやって、笑えばええのに」

「.........なんや、それ...」

見た事ないような、真剣な目でこっちを見ているから、なんだかドギマギしてしまって上手く言葉が返せなくなる。

何それ、なんで、そんな顔してんの。

「...俺さ、子供の頃は、食事の時間は決まってて......大人数で急いで食べて、次の訓練で動けるようにするためのものやった。
...大人になって、一人で暮らすようになってからも、動くためのエネルギーに必要なだけで、......食えれば何でもええわって思ってた」

「.........うん、」

思い出すように遠くを見ながら、坂田が口を開いた。
ポツリポツリと話す、凄く静かな声。

自分の事にも興味のないこいつが、昔話を自らするなんて。
驚いて、だけど邪魔してはいけないと、俺も静かに相槌だけを返す。

食べる事にもあまり関心がないのはわかっている、そういう環境で育ってきた事も。
遠くを見る目、長い睫毛が落とす影が何故だか寂しそうに見え

それでもパスタは残さず全部食べてくれたし、スープはおかわりまでしてくれて。

あったまったなら良かった。
これから大変な戦いになる、そのための力になれたなら良かった。

坂田が、俺の作ったものを食べてくれて、良かった。

不意に、遠くを見ていた目線が、真っ直ぐに俺を捉えて。

こんな風にちゃんと向き合って話すのは、初めて会ったあの夜以来かもしれないな。
あの時はギラギラと荒く輝く瞳に惹かれたけれど、穏やかな今も、新しい一面を知る度に、俺はこの男に惹かれてしまう。

「......けどな、今日、初めてわかった。
自分のために作ってもらったごはんって、こんなに美味いんやな」

ほら、また。

「今まで生きてきて、今日のごはんが一番美味しかった。
ありがとう、センラ」

こんなに、優しい顔して笑うんやね、坂田。
そんな顔見せたらあかんよ、俺みたいな奴は勘違いしてしまうから。

本当は、嫌われたくなんてなかった。
睨まれるより、こんな風に俺に笑ってほしかった、誰よりも近くに行きたかっただけなんだ。

だって、あの夜から、ずっと。

俺は、

「.........こんなもんで美味いなんて、坂田の舌が安くて助かったわぁ」

全然泣くような事じゃないのに、自分の言葉に涙が出そうで。
それを飲み込むように、俺はスープの残りを飲み干した。

いつも通りの、ちゃんと坂田が『嫌い』な声だったのに、坂田は何故か変わらず笑っていた。

「......っ、...うらさんからや」

洗い物を終えて、冷えた手を拭いて。
閉じていたノートパソコンを開こうと、手を掛けたのと殆ど同時だった。

坂田の端末が、震えた。


通話を開始したすぐ後、少し遅れて俺にも情報が届き、第一部隊がほぼ壊滅状態になっている事を知った。

第二部隊ももう動いている、坂田も、召集される。

ほんの一瞬だけ開くのを躊躇して、クリックした、これまで見た事のない死者の人数に、指先が震えた。

「......センラ、ちょっと俺行ってくるわ」

後ろから声がかかって、振り返った先には、ブラックスーツにロングコートを纏った坂田が立っていた。

どんな時でもスマートにキメるのが、殺し屋のポリシーってか、ムカつくくらいかっこええわ。

「お前が説明してた話、......すまん、ぶっちゃけ全然難しくてわからんかったんやけどさ。
まぁ何とかしてくる」

「...ほんまに、厳しいと思う、...生きて帰れる保証ないで」

「殺し屋なんてそういうもんやろ」

「.........わかってる、けど...」

「ふふ、何、いっつもベラベラ喋るくせに、急に大人しいやん」

出発まで、あと五分。
あと五分で坂田は、あんなに沢山人が死んだところに向かうのか。

これがお前の生きている証なら、誰にも止める権利なんて無い。
そう理解していても、だってついさっきまで馬鹿みたいに笑っていたし、一緒にごはん食べて、あんなに穏やかに笑って。

失うかもしれない、失いたくない。

一歩、二歩、坂田が近付いて、俯く俺の額を小突く。
全然痛くないのに涙が出そうで、必死に唇を噛み締めた。

「ごはん、ありがとな、お陰で目一杯暴れられそうや」

「......坂田が死んだら、嫌だ」

「...お前にそんな事言われる日が来るなんて、思ってもみなかったな」

「............いやだ、」

「誰が死ぬか阿呆、勝手に殺すな。
普通に生きて戻ってくるわ」

もう嫌味な自分を取り繕う余裕も無くて、言っている事はまるで子供みたいだ。
そんなただの俺を見る坂田は、少し困った顔で笑っていて、優しくて。

案外大きな手が、俺の髪を不器用にぐしゃぐしゃと掻き回す。
いつも格好良くセットしてるのに、今のでボサボサなったやん、なんて事してくれんの。
いつもなら次々出てくるはずの言葉は、何ひとつ声にならない。

「...あ、そうだ。
センラ、これ、ちょっと預かっといてくれん?」

コートのポケットに手を突っ込んで、暫くモゾモゾと動いて。
はい、と差し出されて咄嗟に受け取れば、それは手のひらに収まる小さな巾着袋だった。

「.........これ、」

「昔貰ったお守りなんやけど、流石に今回壊してまいそうやから。
あ、ちゃんと返せよ、やらんからな?」

小さい割にそれなりに重さがあって、少し冷たい、袋越しに伝わる硬い感触。

俺はこれが何か知っている。


あの夜、返り血に塗れて笑いながら、彼は座り込む俺に手を差し伸べてくれた。
きっとその行動に深い意味なんてなくて、ただの気紛れだったんだと思う、それでも俺は嬉しくて。

その手を取ろうと伸ばした手は、触れる事なく離れていった。

どうして、と見上げた先、彼の頭がぐらりと揺れて、
倒れていくのが、まるでスローモーションのように見えた。

力の入らない脚を必死に動かして、倒れた身体を抱き起こす。
そして触れて初めて、真っ黒なコートの下、彼が腹部から血を流していた事を知った。

どうしよう、どうしたら、

子供の俺には何をしたら良いかもわからなくて、ただただ狼狽えるだかりで。
そんな俺を、彼は無感情に見返していた。

『今めちゃくちゃねむいんやけど、このままねたら死ぬかもなぁ、どっちでもええわ』

本当に、どっちでも良さそうな声で、彼がぼんやりとそう言うから。

『なんかさぁ、からだから血がたりなくなるのと、すっごいはらへってる時ってにてるよなぁ』

まるで自分が死ぬ事なんてどうでも良いと、本気で思っているようにカラカラと笑うから、

幼い俺は、同じく幼い彼の柔らかい頬を、思いっきり引っ叩いた。

だって、この人は俺を助けてくれて、こんなに綺麗で。
俺はひと目で貴方に惹き込まれたのに。
それを『どっちでも良い』だなんて、そんなのってひどい、許せない!

『...あんた、絵本のおひめさまみたいにきれいやのに、とんでもないオテンバなんやな』

悔しくて悔しくて、泣いたら負けだと思うのに、ボロボロと涙が零れる。
ふざけんな、男の子やのに、誰がお姫様や、
文句は次々浮かぶのに、嗚咽にのまれて何も喋れない。

涙で滲んだ向こうで、彼は俺の目をじっと見詰めていた。

『すげぇ、泣いたらもっときれいや、こんなきれいな人はじめて見た』

何度も『きれい』と言いながら、彼の指が俺の涙を掬う。
その瞳は好奇心でキラキラしていて、なんてデリカシーのない人なんだ、と俺は思った。

『なぁ、なんで泣いてんの?どっかいたいんか?』

楽しそうに彼が問う。
きっと本当にわからないんだ、そう思った俺は、正直に答えた。

貴方様が好きだから、生きていてほしいから、泣いています。

何度も涙で詰まりながら、もっと言いたい事は山ほどあるのに、それだけ言うのがやっとだった。

俺の言葉を聞いて、彼はポカンと口を開けたまま動かなくなって。
どうしたのだろうか、まさか傷が悪化しているのではないか、心配になって覗き込んだ顔は、途端に真っ赤になった。

彼は暫くキョロキョロと目を泳がせて、それからひと言、『うれしい』と言って、その顔に満面の笑みを浮かべた。

俺はどうしてか胸が苦しくなって、何も言えなくなって。

沢山の人の足音が、こちらへ近付いて来る。
俺は知らない誰かに抱き上げられ、彼も誰かが助け起こそうと手をかけられていた。

良かった、これで彼は、きっと助けてもらえる。

俺は急いで、自分の右耳からイヤリングを外した。
子供ながらも治療にお金が沢山かかる事を知っていた俺は、費用の足しにしてくれればという気持ちを込めて『貴方様を守ってくれますように』と言って、精一杯手を伸ばして彼に渡した。

それから反対の左耳のイヤリングも外そうとしたら、彼はそっと俺の手を押さえて止めさせた。

『あんたににあってるから、そっちはあんたがもっといて』

にこりと笑って、手を振って。
俺と彼は、別々の方へと連れて行かれて、別れた。


「鍵は開けたままでええから、......って、お前合鍵持ってたか、あはっ、変な時に役に立ったな」

坂田がからりと笑ったのと同時に、端末がまた震える。
画面を見る表情が、きゅっと引き締まって。

次の瞬間には、坂田は笑っていた。
俺が一目で惹き込まれたあの夜と同じ、どこまでも孤独で、純粋な目で。

嬉しい?坂田。
嬉しいに決まってるか、戦いこそが、お前の全部なんやもんね。

だけど、

「......泣く事ないやろ、」

「.........泣いてない...」

「それは流石に無理あるわ」

どれだけ堪えようとしても、勝手に溢れていく涙は溜めるのにも限界があって。
ひとつ零れてしまえば、もう止まること無く次々と落ちていく。

「なぁ、こんな事言うたらお前怒るかもしれんけど」

「.........なんや、」

「センラの泣き顔、綺麗やな」

坂田の指が俺の頬から涙を掬い、すぐに次の涙が同じところを濡らす。
こんな状況にも関わらず、瞳は好奇心でキラキラと輝いていて、俺を見詰めていて。

「.........っく、ふふ......最低、」

やめろや、うっかり笑ってもうたやろ。

子供みたいに素直で、デリカシーのない。
それなのにどこまでも俺を惹きつける、なんて奴だ。

「お前、子供の頃からなんも成長してないやん......ふふっ...」

「.........なに、子供の頃って、何言うて...」

「...また、思いっきり引っ叩いてやろうか?あの時みたいに」

「............なぁ、俺、...お前の泣き顔、前にも『きれい』って、」

坂田の手の中で、端末が小さく震えた。
残念、時間切れや。

「......次会った時、ちゃんと聞かせて」

「んふふ、ええよ...これで死んだら未練がひとつ残るな」

「あは、そうやな」

ロングコートの裾が揺れて、俺に背を向けた坂田が、遠くなっていく。

「......っ坂田!」

本当に、戦いだけか。
お前には殺ししかないのか。

あんな適当な料理だって、お前は美味しそうに食べてくれた。
あの夜だって、生きてほしいって言った俺に『うれしい』って笑ったやんか。

「今度は、もっと美味いもん作ったるから、絶対帰ってこい」

『食べる事は、生きる事』って、誰が言ったか忘れたけど有名な言葉だよな。

食事を摂る事は、生きる意思があるって事。
食べるのを楽しむのは、生きるのを楽しむのと似ている。

なぁ坂田、生きろよ。
戦ってなくたって、お前生きてるよ、生きて食べろよ。

食べるために、生きてよ。

「楽しみにしてる!」

出て行く寸前、振り返った坂田は、見た事ないくらい嬉しそうに笑っていた。


「.........お守り、か」

巾着袋を開いて傾ければ、ころんと手のひらに転がり出た、淡い黄色に輝く宝石。
細かい傷が沢山あって、だけどあいつが持っていたにしては、ちゃんと磨いて手入れされて綺麗だ。

「金の工面のために渡したのにな、...ふふ、あいつの方が随分ロマンチストやったか」

自分のバッグの内ポケットから、坂田の巾着袋と似たような大きさのケースを取り出す。
ベロアで覆われた上質な入れ物は、蓋を外せば坂田のものと対になったイヤリングが片方だけ台座に収まっている。

彼を決して忘れないように、いつだって持ち歩いていたけれど、戦いに身を置くあいつのものに比べたら、こっちは何の傷も無い。
それなのに不思議と、傷だらけの右耳のイヤリングの方がキラキラ輝いて見えるのは、きっとただの贔屓目なんやろうな。

「...それにしても、お守りやったら、自分で持ってなきゃ意味ないやろ......やっぱりあいつ阿呆や」

空いている方の台座にイヤリングを差し込んで、二つ並んでいる姿を目に焼き付けてから、静かに蓋をした。

あの時お前は、俺を『おひめさま』なんて呼んだけど。
生憎俺は、お姫様どころか本職はハッカーの、世間にもネット社会にも擦れたただの成人男性だ、綺麗な思い出なんて虚しいもんよな。

それでもまぁ、神様は信じなくても、願う事くらいはできるからさ。

形だけでもお姫様を気取って、お祈りみたいに両手を握り締めて。

『貴方様を守ってくれますように』

あの時より強く、願った。

「お邪魔しまーす......おぉ、玄関広いな!」

「わぁー!ええなぁ新築、俺も建てたいな...あ、センラさん!お邪魔します」

「はいはい、二人ともこんな所で止まってないで、早く中入ってあったまってや」

最近やっと見慣れたばかりの玄関に、合計四人分の靴が並ぶ。
なんだかそれだけでいつもより賑やかに見えて、こういうのもええなぁなんて、つい頬が緩んだ。

「......ふふ、何笑ってんの?」

「あ、いや......何か、こんなクリスマスっぽい事すんの、生まれて初めてやから、」

「...嬉しい?」

「.........そうかも」

白い手が差し出されて、俺は肩に担いでいた相棒のアサルトライフルを手渡した。
ついでにアウターに少し積もっていたらしい雪が、優しく払い落とされる。

「雪、降ってたんやね、ずっと籠って料理ばっかしてたから、全然気付かんかったわ」

「うん、外めちゃくちゃ寒かったで。二年連続で降るなんて珍しいよな」

革のブーツから柔らかいスリッパに履き替えて、目線を上げればセンラと目が合った。
暫く黙っていたら、何?と言うように小さく首を傾げる仕草が、なんだか可愛くて。

「ただいま、センラ」

「......ん、おかえりなさい、坂田」

今日もこうして、こいつの元に帰って来れたのが、奇跡のように幸福な事だと思った。


リビングではうらさんと志麻くんが、広いL字のソファに座って寛いでいた。
俺もアウターを脱いで、急いで手洗いうがいを済ませて空いているスペースに座る。

キッチンからは美味しそうな匂いがこちらにまで漂って、気分が上がるのと同時に一気に空腹を自覚していく。
今日は久々の復帰だったから、つい張り切って動き回り過ぎた、めっちゃお腹空いた。

待ち切れなくなってキッチンを覗けば、同時進行で用意しているのだろう、あちこち動き回りながら料理の仕上げをするセンラがいた。

ゆったりしたサイズ感の柔らかいニットに、細身のボトムスは魅惑的な脚のラインを強調してくれている。
機嫌良さげに動き回る後ろ姿は、腰で結ばれたエプロンの紐がリボンのようにゆらゆら揺れているのが可愛くて。

「っ、ぅわ、...なぁに、どしたの坂田さん?」

「......なんでもない、」

惹き寄せられるまま、その薄い腹に腕を回して、しっかりと後ろから抱き締めた。
首筋に鼻を寄せればセンラお気に入りの香水が爽やかに香って、ずっとキッチンで料理をしていた身体はポカポカと温かい。
クスクスと控えめに笑う声も、もう全部が愛おしくなってしまって、回した腕にぎゅうっと力を入れれば笑い声が少し大きくなった。

「温め直したらすぐ出来るから、あっちでうらたんと志麻くんと待っとき?」

「...嫌や、此処で邪魔したる」

「居るんならせめて手伝えや、ふふっ、何やねん邪魔って」

全く痛くない力でペシペシ叩かれて、仕方なく腕を緩めれば、振り返ったセンラは優しい顔で笑っていて。
多分俺も、ゆるゆるに緩んだ顔で笑っている。

そのまま目の前にある唇に自分のそれを重ねたら、ちょっと照れ臭そうな顔で頬を引っ張られた。

「......お前、ちょっと浮かれてるやろ、...うらたん達に見られたらどうすんの」

「別にええやん、一緒に家まで建てたんやで?もう俺らの関係なんて皆わかってるって」

「そういう問題とちゃうわ...誰も知り合い同士のキスシーンなんて見たくないやろ」

「...まぁ、俺もキスしてる時のお前とか、別に見せたくはないけど」

「............あほか」

こつんと額同士がぶつけ合わせられて、二人でうりうりと押し付け合った後に、今度はセンラの方からこっそりとキスがひとつ。
普段ならそんな事絶対しないくせに、人の事言えないくらい多分こいつも浮かれてんな。

ふわりと色付いた頬から耳を見て、それからいつもの癖で、右手が自分の右耳へと伸びた。

自分にしては繊細な動作で、そおっと撫でる。
其処にひやりと冷たい石の装飾が、今日も変わらず収まっている事を確認して、心が穏やかになっていった。

指先で摘んで、静かにそれを外して。
同じもので埋まっているセンラの左耳を撫でてから、空いている右耳にパチンとイヤリングを着けてあげる。

「...今日もしっかり守ってくれたで?ありがとな、俺の『おひめさま』」

「.........その呼び方、ほんまにやめろって...」

恥ずかしそうに赤くなった両耳に、淡い黄色の宝石が繊細なカットで動く度にキラキラと輝く。

やっぱり、これはお前にこそ似合うよな。
本来の持ち主の耳元を彩る装飾に満足して頷いた時、うらさん達に呼ばれる声がして、いよいよ俺はキッチンを押し出された。


あの紛争での負傷が原因で、俺は脚に後遺症が残り、すぐに戦線に戻ることが出来なくなった。

唯一の生き甲斐であった戦う事を失い、組織からも沢山の仲間を失った。
喪失感、苛立ち、そして思うように動かない脚へのもどかしさ。
あの頃の俺は酷く荒れていたと思う。

何も出来ない状態の自分が何故生き残ってしまったのか、何のために生きているのか。

そう自問自答を繰り返していた時に、理学療法士として俺の前に現れたのは、まさかのセンラだった。

それらしい白い制服を着た奴がにこやかに手を振りながら病室に入ってきた時の衝撃は、今でもたまに思い出す。
初めはいつもの飄々と軽い調子で挨拶をされて、驚きに俺が呆けている間に、センラの目にはどんどん涙が溜まっていって。

ぎゅっと握らせられた手の中には、あの日お前に預けたイヤリング。
震えるセンラの左耳には、同じものが控えめに黄色く輝いていて。

『お前が、生きていてくれて良かった』

そう、大粒の涙を溢しながら、子供みたいに素直な言葉で伝えられた時。

あぁそうだった。
生まれて初めて貰ったプレゼントと、初めて俺が生きる事を願われた日。

この子の願いを叶えるためだけに、このイヤリングが壊れるまで、俺は生き延びると決めたんだって事を思い出したから。

俺は、俺の『おひめさま』を、そっと抱き締めた。

本当に元々資格を持っていたらしいセンラの理学療法士としての腕は確かで、それでも時間はかかったけれど。
今日は俺の復帰祝いと新築祝い、ついでにクリスマスパーティまで込み込みで、俺がうらさんと志麻くんを招きたいと言ったら、センラも喜んで了承してくれた。

動けなくなって、戦えない弱い自分になってみて初めて、俺は周囲の沢山の人達が俺を想ってくれていた事を知った。
組織内での俺の席を守ろうと動いてくれたうらさんと志麻くん、実は俺を慕っていたのだと泣きながらお見舞いに来てくれた部下達。

そして、どんなに俺が荒れても根気強くリハビリに付き合ってくれて、以前までの嫌がらせなんてする余裕も無いくらい、真剣に俺と向き合ってくれたセンラ。

『殺しにしか興味が無い』なんて孤独ぶっていた俺は、本当はこんなに沢山の人に想われていたんだ。

リハビリが安定して『もうそろそろ自宅に戻って、日常生活に慣らしていくのがええ頃やね』とセンラに言われた日、俺は『一緒に来てくれ』と生まれて初めて人に頭を下げて頼んだ。
俺にはこいつがいないとダメだ、そう思ったから、真剣に頭を下げた。

センラは驚いていたけれど、『まぁ、その方が治療の都合が良いから』とかなんとか言い訳を並べながら、表向きは患者と療法士としての同居が始まった。

つきっきりのリハビリのお陰もあって、俺の脚が順調に回復していき、ある程度の生活なら一人でできるようになった。
退院してから初めて組織に顔を出した日、遅い時間に帰宅したら、センラは何故かベロベロに酔っ払っていて。

まだ飲めるとか言って騒ぐのを、どうにか止めようとしたら、

『脚が治ったら、俺は要らなくなるんやろ?』

そう言って、センラは急にボロボロと涙を零した。

『こんなに一緒に過ごして、仲良くなってもうたら、もう嫌がらせなんて思い付かないのに、俺はどうしたらええんや』
『俺はこんなにお前が好きなのに、どうしたら坂田はこれからも俺を見てくれるんや』

呂律の回っていない口で、要約するとそんなような事をセンラは言って、深夜で近所迷惑だってのに大声でワンワン泣き出した。

なんで嫌がらせが好意に結び付くのかは全く理解できなかったけど(その後何度聞いてもセンラは答えてくれないから、俺は未だにわかっていない)、とにかくこいつが随分前から俺を好きだったって事はわかった。
生きる事にすら関心の薄いような俺には、人の気持ちを汲み取る能力なんて全くなくて、言われて初めて『こいつ俺の事が好きなのか』と理解した。

そして、こいつが本気で『理学療法士』として一緒に暮らしてくれて、俺が頭を下げてまで頼み込んだ意味は全く伝わっていなかった事も、同じく理解した。

ほんまに恥ずかしい事に、自分の鈍さを棚に上げて、俺は伝わっていなかったのがあまりにもショックで。
生まれて初めてに近いレベルで、センラと同じくらいボロッボロに泣きながら、多分世界一みっともない告白をしたんだ(どんな告白をしたのかは、思い出したくないからどうか聞かないでほしい)。

そんな回り道をしまくって、やっと恋人同士になった初めての朝は、泣き過ぎて頭の痛い俺と、二日酔いで顔色の悪いセンラという最低のコンディションの二人で。
愛を囁き合う余裕も無く昼過ぎまで二度寝をするというどうしようもない始まりになったのは、本当にロマンの欠片もないけれど。

喧嘩した後の仲直りに話すと絶対笑える、スベらない思い出になった。


「お待たせしました〜、前菜のサラダからどうぞ」

そろそろ出来上がるから、と声を掛けられ、三人でダイニングに移動する。

向かいにはうらさんと、その隣にまーしぃ、俺はまだ空席のセンラの隣の椅子に。
全員が腰掛けたタイミングで、テーブルに大きなガラス皿に盛り付けられたサラダが置かれた。

フリルレタス、とセンラが呼んでいたヒラヒラしたレタスみたいなものの上に、赤や黄色のパプリカとトマト、そしてツヤツヤのサーモンがたっぷりと乗って、鮮やかな色が視覚からも美味しそう。

センラが人数分の取り皿とトングを持ってきたから、一応招いた側としてお客様をもてなさねば!と気合いを入れていたら。
いつの間にかそれらは志麻くんが受け取っていて、気がつけばサラダは綺麗に四等分に取り分けてられていた。

先に食べててええからね、と言いながら、次にセンラが運んでくれたのはポタージュっぽいスープ。
とろりと濃いミルク色はほんのりチーズのような匂いがして、中にダイスカットのベーコンとポテトがたっぷり入っている。

折角作ってくれた料理が冷めてしまう前に、三人で手を合わせて、いただきます。

散々センラに言われて、やっと習慣になったベジファーストとかいうやつで、手を付けるのはサラダから。
しっかりと厚みのあるサーモンを先ずは単体で口に入れれば、最初に感じるのはレモンと最近センラが気に入っている白ワインビネガーの香り。
噛むたびにサーモンの濃厚な風味を中和するために野菜も追い掛けて口に含めば、みずみずしい食感も楽しい。
きゅっと酸味が効いたドレッシングが爽やかで、野菜もたっぷりだから脂の乗ったサーモンも軽々と食べられる。

ただの野菜サラダでも美味いけど、こういうサーモンとか主役級が乗っているやつは特別感があって大好きだ。
取り皿にたっぷり盛られていたはずのサラダは、気付けばあっという間に完食していた。

少し口の中が冷えたところで、湯気を立てるスープに手を伸ばす。
大きめのスプーンで掬えば、小さな四角で揃えられた具材がコロコロしていて、なんだか可愛らしい。

しっかり表面を冷ましてから口に運んで、たっぷりの具材を噛み締めれば、ポテトは揚げているのかカリッとした食感、ベーコンは分厚くてじゅわっと塩気と旨味が滲み出す。
クリーミーで優しい味付けのポタージュスープと一緒に飲み込んで、お腹の中があったまる感覚に、ほぅ、と息を吐き出した。

まーしぃが『俺このスープで飲めるわ』と良くわからない感想を言って(センラは嬉しそうに頷いていたので、多分褒めているんだろう)、うらさんも幸せそうにポテトをもぐもぐしている。

こういうあったかいスープって癒されるよなぁ。
初めてセンラが作ってくれたあのスープも、思い出補正もあるかもだけど、冷蔵庫の余り物だけとは思えないくらい美味しかったし、何より『俺のために』作ってくれた事が嬉しかった。

あの時の料理を褒めると、センラは『今ならもっと美味いもん作れるから!』って何故か張り合おうとするけど、俺は感動したんだよ。
誰かが自分のために料理してくれたのも初めてだったから、ちゃんとした手料理の美味しさを知ったし。
あの頃のセンラって俺に嫌がらせばっかしてたけど、俺が食べるのを真剣に見詰める眼差しにはいっこも嘘が無くて、俺が『美味しい』って言った時なんか、誤魔化せてたつもりだろうけど子供みたいにほっぺた真っ赤にしてんのバレバレで。
ほんまに素直に、嬉しそうに、笑ってた。

今思えば、あの笑顔で俺は既にやられていたのかもしれない。
いや、もしかして初めて会ったあの夜から?

とにかく、あの日の料理を切っ掛けに俺はすっかり『食べる』楽しみを知ってしまった。
うらさんに口煩く言われた時だけ摂れば良いと思っていた野菜が結構好きだった事、なんとなく面倒そうで避けていた魚が実は肉より好きだった事も。
パンより米派で、だけど時々センラが焼いてくれる焼きたてのパンは、買ってきたものと比べ物にならないくらい美味い事も、

「はい、今メイン用意してるから、これとアラビアータで繋いどいて?」

軽い音でテーブルの真ん中に置かれたバスケットには、ついさっき思い描いていたセンラお手製の焼きたてバタールがこんもり盛られていた。

うわっ、これだ、俺の大好きなやつ!

急いでひとつ手に取って、まだ熱いそれを苦労して千切ったら、ポタージュに浸して口に放り込む。
スープが染み込んだところはとろりと、淵はカリカリしていて、中心部分は普通のフランスパンよりももっちりと柔らかい。
ほんのりバターと塩のシンプルな味は小麦の香ばしさが引き立てられて、ポタージュのミルクの風味は当然相性抜群だ。

「んん〜...んまぁい......」

「ふははっ、めっちゃ幸せそうやなぁ坂田」

「お前毎日作ってもらってんじゃねぇの?」

「バタールはセンラが休みの日だけなんよ...これほんま好き......」

「......センラ〜!坂田がさぁ!センラの事好きだって!」

「っは、はぁ?!何言うてんのうらたん?!」

「何言うてんのうらさん?!俺そんな事言ってないし!」

「え、じゃあセンラの事好きじゃないの?」

「えっ.........いや、そんなわけは、ないんやけど、」

「うらたん!坂田阿呆なんやから、小学生みたいな弄り方すんのやめて!」

「はぁ?!誰が阿呆や!」

「っはっは、おもしれー、このネタまたやろー」

「センラさーん、持ってきたシャンパン、そろそろ良い感じに冷えてんとちゃう?」

各々好き勝手な事を言っている間に、テーブルにはたっぷり赤いソースを纏ったペンネのお皿が追加されていた。
濃厚なトマトと魚介の良い匂いに、サラダとスープで落ち着いていたはずの食欲がまた上がってしまう。

すっかり使い慣れたフォークで少量掬って、零さないよう気を付けながら口に入れて。
しっかり煮詰めたトマトとガーリック、具材になっているタコの出汁も効いたパンチのある味は、普段のセンラの好みよりもかなり辛さ控えめだ。
うらさん辛いのあんまり得意じゃないからな、そういう配慮をさり気なくできちゃうところが、出来た恋人でなんだか誇らしい。

良く煮込まれたタコは歯切れが良くて、やや硬めに茹でられたペンネと一緒に食べると丁度良い食感だ。
普段はあまりお酒を飲まない俺も、ちょっとビールとか飲みたくなっちゃう、お酒が進みそうな味。

そしてお皿に残る、出汁がたっぷり含まれたトマトソースが、実は一番の楽しみだったり。
千切ったバタールでしっかりと拭って口に入れれば、うん、ポタージュも美味いけどこっちのトマトソースも相性最高、大好き。

「お待たせしました〜、ええ感じに出来たで!」

バタールのバスケットをよけて、今度こそ主役としてテーブルのど真ん中に置かれた大きなお皿。

「...うわ、すげぇ.........」

「ふふ、綺麗なピンクやろ〜?」

丁寧に薄くスライスされた、肉汁をぎゅっと閉じ込めたようにツヤツヤの、しっとりピンク色の断面。
表面だけ焼かれた肉の香ばしい匂い。
大きなお皿には、今夜のメインメニューのローストビーフがたっぷりと盛られていた。

主にセンラの税金対策で、一緒に家を建てようと話し合った時。
センラは『絶対にキッチン備え付けの大型オーブンレンジが欲しい』と、最初から主張していた。
その時はイマイチ必要性を感じなかった俺は、どうせすぐ使わなくなりそう、なんて思っていたけれど。
お陰で焼きたてパンが食べられて、まさかこんなものまで作ってしまうなんて!

お皿の端にはマッシュポテトも添えられて、三つ並んだ小さいココットにはそれぞれ違うソースが入っている。
朝から大きな塊肉を仕込んでいたから、めちゃくちゃ期待していたけど、こんなお店みたいなのが出てくるなんて想像以上だ。

全てのメニューが揃ったテーブルは、クリスマスらしく彩りも華やかで。
この豪華さは、どうにもテンションが上がってしまう。

「センラすご!こんなの家で作れんの?!」

「やばぁ、めっちゃ酒飲みたくなってくるんやけど!」

「志麻くんのお土産のシャンパン、冷えてたし開けちゃおうか!
ありがとうな、今日のメニューにぴったりやったわぁ」

センラとまーしぃと、飲むかと聞かれて頷いたら俺の前にも、脚の華奢なシャンパングラスが置かれて、アルコールが苦手なうらさんには、輪切りレモン入りの炭酸水。
冷蔵庫で冷やされて出番を待っていたのは、俺でも聞いた事があるくらい有名なシャンパンのボトル。

何故かセンラが俺に手渡すから、取り敢えず金属の留め具を外して、全然動く気配の無いコルクを適当にぐりぐりと親指で押していたら。
いきなりポン!と派手な音を立てて、コルクの栓が高く跳ね上がった。

おぉー、なんて呑気な歓声を上げる酒飲み二人と、初めて見た栓抜きに目を丸くして固まる俺とうらさん。
変な間があって、四人で目が合って、なんだかおかしくなって皆で笑った。

綺麗に磨かれたシャンパングラスに、トクトクと淡い金色のお酒が注がれる。
細かい泡がシュワシュワと揺れて、鼻を近付ければ甘くて良い香り。

脚の細いグラスはぶつけ合わせてはダメだとセンラに教えられたから、三人でタイミングを合わせてグラスを軽く持ち上げて、乾杯。
初めてのシャンパンを恐る恐るひと口含んでみれば、ほんのりアルコールの匂いもするけど、甘くてフルーツみたいな味がした。

「まーしぃ、これ美味しい!これなら俺も飲めるわ!」

「おぉ、良かったな、飲み易いやろこれ。ただ度数はチューハイの倍以上あるからな、あんまガブガブ飲むなよ?」

「センラぁ、おかわり!」

「......お前、志麻くんの話なんも聞いてなかったんか」

そんな沢山飲んじゃダメ、とシャンパンはセンラの手によって遠ざけられて。
代わりに目の前に置かれたのは、ローストビーフが綺麗に折り畳んで盛り付けられた取り皿。
肉ってのはどうしてこうも刺激的なのか、じわ...と、見ているだけで口の中に唾液があふれていく。

そろりとフォークを刺してみたら、柔らか過ぎて上手く刺さらず、仕方ないのでペンネと同じように掬い上げる。
三種類のソースは全部気になるけど、先ずはこのまま食べてみたい。

乱暴にしたら崩してしまいそうで、そおっと口に運び、噛み締める。

ひと噛み目にはムチッと肉らしい食感があるのに、それをもう一度噛もうとした時には、既に口の中の温度で溶けてトロトロになって。
じゅわじゅわと滲み出す脂と肉汁、ほんのりと塩味もあるが、それ以上に肉の味が強い、甘い、美味い。
なんかもう液体みたい、飲めそう。

めちゃくちゃ美味しいのに、あっという間に口の中から無くなってしまうのが名残惜しいくらいだ。
周りを見れば、三人とも同じような幸せな顔をしていて。

「......なんか、こうやって美味しいもん食べてると『生きてる』って感じするな」

ちょっと大袈裟かもしれないけど、どうしても言いたくなった。
お酒飲んだし酔っ払ってるからええやろ、そう結論付けて、だけどやっぱり恥ずかしいから、小声で。

俺が言い終えた途端、皆がぴたりと動かなくなるから、滑ったかと内心焦っていたら。

「......泣く事ないやろ、」

「.........泣いてない...」

「それは流石に無理あるわ」

隣から、小さく鼻を啜る音が聞こえて。
まさかと思ってそちらを向けば、センラの目からは大粒の涙がボタボタと落ちて、エプロンに次々と染みを作っていた。

えぇ、何でここで泣く?全然意味わからん。

わからんけど、泣き止ませるためにせっせとセンラの背中をさすれば、向かいからは二人分の生温かい笑顔が送られてきて、何これ、俺が一番恥ずかしいんやけど。

「センラぁ、泣くなってぇ、」

「......坂田、お前は今、生きてるよ、ちゃんと」

「.........うん...?生きてるよ?」

「............うぅぅ〜...」

「えぇ、なんでぇ?」

うらさんとまーしぃが、堪え切れなくなったように二人同時に笑い出して、誤魔化すように俺も笑えば、センラも泣きながら笑った。

言うてる意味はわからんけど、生きてるよ、生きてるからごはんが食べれるんやろ。

センラのごはんが美味しい。
やっぱり泣いているセンラは綺麗だ。

センラの耳元で、イヤリングがキラキラと輝く。

あぁ、今日も俺は、お前の、

☆後書き☆

こんにちは、『冬のあったかごはん企画』12/24担当のcalicoです
少し長めのお話になってしまいましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました!

今回初めて企画の主催を林檎飴様と務めさせて頂きました
不慣れな部分が多く林檎飴様にも参加者様にもご迷惑をおかけする場面も多々あったかと思います(何故か投稿がエラーを吐き、全文消えかけるというハプニングもありました、しぬかとおもった)
それでもここまで誰も欠ける事なく、素敵なお話を毎日読ませて頂けて、本当に幸せだなぁと感じています
何より、毎日大好きなテーマのお話やイラストが投稿される現状が楽し過ぎて!このままずっと続いて欲しいくらいです

が、残念ながら全ての物事に終わりは来るもので、この企画もあと数日で終わりとなります
最後の最後まで豪華な顔触れ、最高のメニューだったのでは無いかと自負しておりますが、如何でしょうか?

是非とも完走まで、お付き合いのほど、宜しくお願い致します!

calico

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